第21回高崎市公会堂の落成

たかさき100年第21回写真 市民の寄付で建設された高崎市公会堂

大正期になると、大勢の市民が一堂に集まることができる公会堂が欲しいという要望が出てきました。それまで人々が集まることができる公共施設としては、明治43年にできた高崎図書館がありましたが、何百人も収容することはできませんでした。

大正6年(1917)2月になり、公会堂建設の具体的な動きが出てきました。市民や市内の団体が図書館の会議室に集まり、1月の1か月間に15回もの会合を開きました。「公会堂建設趣意書」によると「社会風教道徳ノ改善ニ、又商工業等ニ関スル講演会或ハ講習会等多衆ヲ集合スヘキ場所ノ必要」と、公会堂建設の必要性を強調しています。同年3月、市に高崎公会堂建設委員会が発足、特別委員30数人で協議し、工費を1万円ほどとしました。しかし、市有の公会堂としては規模が小さいとして3万円の意見もありましたが、最終的には2万5千円としました。一方、市では上水道の整備や小学校の増設、市営住宅建設などが山積し、資金が不足していたため、市内の法人、個人の寄付金を積極的に受け入れることとし、最終的には3万円を上回る寄付金が集まりました。5月に、高崎市会(現市議会)で寄付金受け入れに伴う大正6年度追加予算を決め、その際に元春靄館附属建物を売却、本町の一部敷地を用地に充て、また成田町の民有地約60坪も買収しました。建築工事は、2万4千円で羅漢町の島田熊次郎と契約を締結しました。

公会堂は間口16間、奥行き7間半、2階建て洋風建築、建坪は約220坪でした。1階には商業会議所事務室、応接室、貴賓室、控え室。2階には大会議室、控え室、休憩室などを備え、総工費は約3万2千円、大正7年(1918)1月20日に落成式を行いました。

落成後の最初の大きな集会は、同年3月17日から3日間開催された関東商業会議所連合大会でした。この後、何百人という人たちが集まる講演会、表彰式、品評会などが開催されました。大正8年には、商都高崎にふさわしい商店陳列装飾競技会、さらに大正9年には、商品陳列即売会もこの公会堂で行われました。文化面では美術展、音楽会もたびたび開かれ、萩原朔太郎のマンドリン演奏会も開かれるなど、大正、昭和前半期の文化の殿堂として、大勢の市民に利用されました。

(森田秀策)

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