第23回幼稚園の始まり

たかさき100年第23回写真 高崎幼稚園があった高崎小学校全景

高崎における学齢に達していない幼児を対象にした教育は、小学校教育と比べて少し遅れて動き出しました。明治10年(1877)8月、ドイツ人の松野クララ女史により、幼稚園に関する講演会が高崎と前橋で開催されたのを契機に、その必要性が県民の間に理解され始めました。

群馬県で最初の幼稚園は、明治16年8月、県立の幼稚園が前橋に設立されましたが、まもなく廃止され、明治31年4月、群馬師範附属小学校の幼稚科として再出発しました。続いて明治19年8月には桐生に町立幼稚園が誕生しました。

高崎では、明治19年2月から高崎第一尋常小学校附属として「幼稚開誘室」という名称で準備が進められ、明治21年12月、高崎幼稚園が町立として正式に開園しました。

初代園長は、高崎尋常小学校長であった堤辰二が兼任しましたが、この幼稚園の基礎をつくったのは、同校の訓導(旧制小学校の教員)であった辰二の妹、堤きよでした。きよは、小学校卒業後上京して女子師範学校に入り、幼稚園教育を専門に学んだ幼児教育には適した人物でした。

園舎は高崎小学校の敷地内にありましたが、その後柳川町へ、さらに宮元町の高等小学校跡地へ移転しました。明治期の在籍園児数は、100人から140人。保母や助手はドイツ人のフレーベルの提唱した保育法によって指導していました。保育時間は、1日5時間以内とし、保育内容は遊戯・唱歌・説話・行儀・手技(積木・織紙・剪紙・画方・豆細工など)でした。

大正期に入ると、市外などからの転入者の増加に伴い入園希望者も増加していきましたが、大正13年(1924)4月に市立実践女学校が開校したのを機会に、大正14年6月1日、実践女学校附属の高崎第二幼稚園が宮元町(現東京電力)地内に設置され、その後昭和町に移転しました。旧市内の2つの幼稚園は、戦前・戦後を通じて長く市民に親しまれてきました。その後、入園児の減少、通園事情の変化、宮元町周辺の区画整理事業などによって昭和60年3月20日両園は合併、新しい高崎幼稚園は末広町に置かれました。そのほか、明治・大正期には私立の深井幼稚園(宮元町)や聖公幼稚園(山田町)もあり、特色ある教育を行っていました。

現在、市内には公立4、私立20の幼稚園があります。

(森田秀策)

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