第24回大正期の金融界

たかさき100年第24回写真 大正8年に設立された上州銀行

大正期は金融機関の設立や合併が行われ、その後、恐慌に見舞われるなど、高崎の金融界に大きな変化があった時期でした。このころ高崎でも近代工業が芽生え、製糸業も機械化が進み、多くの資金を必要とするようになりました。大正初期の高崎では、地元資本による銀行の規模は小さく、大きな銀行は東京や横浜に本店がありました。これらの銀行は、高崎で集めた資金の多くを京浜地方に流してしまい、地元の商工業や養蚕・製糸業のために使うことはほとんどありませんでした。

こうした状況を打開するため、2つの方法が採られました。1つは、中小の商工業者や養蚕農民の力を結集した協同組合方式で、地元の資金を地元で活用する方法でした。大正3年(1914)6月に設立された高崎信用組合(現高崎信用金庫)がそうでした。高崎信用組合は、二宮尊徳の「報徳思想」を基盤に、商工業者や農民の相互扶助の精神が、金融方面に結実して設立されたものでした。

もう1つは、金融機関の合併でした。地元資金による大きな銀行をつくり、資金需要にこたえようとしたのです。大正8年(1919)、高崎市内の有志が、大資本を持つ銀行を目的として、資本金150万円の上州銀行を設立しました。そして、既に開業していた高崎積善銀行、高崎銀行、上毛貯蔵銀行を吸収合併して、上州銀行の資本金は、300万円になりました。西上州における地元資本による近代的銀行が誕生したのです。その後、上州銀行は周辺の中小銀行を合併して、現在の群馬銀行の前身となっていきました。

大正9年3月、第一次世界大戦が終わり、好景気が去ると「戦後恐慌」が始まりました。物価は下落し、極端な不景気になりました。

高崎の銀行や会社も破綻が相次ぎ、5月24日には、高崎の金融界で大きな位置を占めていた第七十四銀行高崎支店が休業せざるを得なくなりました。横浜で活躍した高崎出身の生糸貿易商、茂木惣兵衛などが設立した、高崎に縁の深かった銀行であっただけに大きな衝撃でした。同日、上州銀行や第二銀行高崎支店などにも多くの預金者が押し寄せ、預金の引き出しをする「取り付け騒ぎ」が起こり、臨時休業に追い込まれました。このときの恐慌は、「大正9年のガラ(相場の暴落)」といわれ、産業界・経済界が大混乱したことでよく知られています。

(石原征明)

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