第25回大正7年の米騒動

たかさき100年第25回写真 米騒動時の倉賀野町の様子

第一次世界大戦による好景気は、一方で物価の高騰を招き、実質賃金の低下で民衆の生活は苦しくなっていました。特に米価の値上がりは異常でしたが、これは凶作が原因ではなく、シベリア出兵を見越した地主や米商人の買い占め、売り惜しみによるものでした。

こうした中、大正7年(1918)7月下旬、富山湾沿岸一帯で米の県外移出禁止、安売り要請運動が起こりました。8月にこの運動が新聞に報道されると「米騒動」と呼ばれる民衆運動が全国各地に広がりました。

高崎市でも、当時の内田信保市長が「目下米価非常ニ暴騰シ、各所ニ不穏ノ情報アリ、本市ニアリテモ相当ノ救済ヲ行フニアラザレバ、何時如何ナルコト勃発スルモ難計ク」と、騒動がいつ起こってもおかしくないと県へ報告しています。そして、高崎でも次のような事態が発生しました。市内在住者が中心となり「米価調節に対する決議をなさん」と、高崎公園で市民大会を開こうとしました。『東京日日新聞』(8月12日号)は「10日高崎市にて……米価に関する群衆の暴動事件の導火線ともなるべき重大事件勃発せり」と報じています。これは、高崎警察署がいち早く内偵して未然に防ぎました。

さらに、8月15日未明には市内の電柱21か所に「15日午後6時、市民大会、公園ニ於テ」という張り紙が張られました。警察の資料によると、高崎警察署は高崎公園に21人、市内に6人の私服警官を配置し、市民1人を検挙しています。当時の砂賀町『記録第一号』には、「15日夜ハ市民大会ヲ公園ニ開催ストノ流説市内ニ布及シ、警察署、連隊共ニ万一ヲ慮リ、終夜警戒シタリ」という記述があります。

一方、市内の米穀商中村重蔵は「下層民の困窮見るに忍びず」と8月9日、米の安売り申請を市役所へ申し出ています。8月13日、政府は事態を重く見て、資産家から寄付を募り、それを基に米の安売りをするよう各府県に指令しました。8月15日から、高崎市でも有志の寄付申し込みが相次ぎ、翌16日には、一升50銭もしていた米を30銭で売る安売りが、市内の小学校などで数日にわたって行われました。

政府は、騒動を起こせば米価が下がるのではないかという印象を国民が抱くことを恐れ、8月28日安売り打ち切りを指令しました。米価は再び上昇し、年末には8月ごろの水準まで戻ってしまいましたが、騒動にはなりませんでした。

(岩根承成)

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