第30回初めての市営住宅

たかさき100年第30回写真 昨年建て替えられた上小塙団地

最近は、市営住宅の建て替えが進み、新しい快適な建物に生まれ変わっています。市営住宅は、第二次世界大戦後に建設されたというイメージがありますが、すでに大正時代から建てられていました。

商工業や交通の要衝として順調に発展してきた高崎市は、明治33年(1900)の市制施行以後も次第に人口が増加し、明治35年には請地町・成田町・末広町・旭町・鶴見町・下和田町など新しい町がいくつも誕生しました。大正時代になると、市内には製紙工場や製粉工場、製材所などが進出し、工場で働く労働者が多くなり、人口の増加はさらに加速していきました。

こうした人口増加は住宅難を引き起こし、市は新しい住宅政策を行う必要に迫られました。まず大正10年(1921)1月「市営住宅貸与規程」をつくり、政府から資金を借り入れ、同年八月に下和田町に最初の市営住宅を建設しました。しかし、市営住宅だけでは住宅需要に追いつかなかったため、同年10月「貸住宅建設奨励規程」をつくり、民間にも貸家建設の協力を依頼しました。

その後、大正15年までに並榎町・竜見町・下和田町・字仲沖(現東町の一部)・飯塚の字芝塚・字金井(現昭和町の一部)・大橋町などに約170戸の市営住宅を建設しました。一戸建てのほか、2軒続きの「二戸住」、4軒続きの「四戸住」の3つの形式を組み合わせて建設しました。

建物はすべて平屋建てで、屋根はかわらぶきやスレートぶきのほかトタンぶきもありました。一戸当たりの敷地面積は、平均で約132平方メートル(約40坪)、延べ床面積は平均で約43平方メートル(約13坪)、3.3平方メートル(一坪)当たり約83円の建築費でした。それほど広くはありませんでしたが、当時としては中流向き住宅ということで、多くの申し込みがありました。

家賃は住宅の規模によって区分されていました。「市営住宅貸与規定施行細則」によると、一戸建ては1か月に25円以内、「二戸住」は1か月15円以内、「四戸住」は1か月10円以内と決められていました。この家賃は市営住宅付近の民間住宅の家賃より、一割から二割ほど安く設定してありました。昭和6年当時の家賃は最低が6円、最高で19円ほどでした。また電気・ガス・水道の使用料や障子・ふすまの張り替えは入居者が負担し、畳替え・畳表の裏返し費用は市が半分負担、し尿は市が処理していました。

(石原征明)

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