第34回昭和初期の乗合バス

たかさき100年第回写真 駅前通りを走る昭和初期の乗合バス

大正時代には、当時乗合自動車と呼ばれていた「乗合バス」が全国的に登場し、主要都市内や都市間で次々と運行されるようになりました。そして、明治時代から鉄道を中心とした交通拠点都市としての性格が強かった高崎は、昭和初期には県内バス交通の中心都市になっていきました。

大正末期から昭和初期にかけて、乗合バス事業の収益は良好で、事業者も急増しました。当初のバス事業の主力であった多くの中小事業者や個人経営者は、次々に路線免許を申請するようになりました。

このころ、道路改修が行われ自動車が通行できる県道となった高崎・伊勢崎線には、40もの事業者が申請したといわれています。当初この路線の営業権は、数人の個人事業者に認可されましたが、昭和4年(1929)6月にこれらの事業者が集まり、両崎自動車として開業しました。また、昭和初期の高崎市内のバス運賃は各社まちまちでしたが、昭和5年8月には市内のバス運賃を5銭均一とする協定が結ばれました。

こうした情勢の中、昭和3年、鉄軌道を擁護する目的で、バス事業の監督権が逓信省から鉄道省に移管されると、鉄軌道事業者は自社の鉄道に競合する路線を中心に、乗合バスも営業するようになりました。高崎市内に本社を置く上信電気鉄道(後の上信電鉄)も、昭和4年に下仁田・小幡(現甘楽町)間の路線を買収して初めてバス事業を開始、昭和6年には福島(現甘楽町)・高崎間の営業認可を得たほか、高崎駅・観音山清水寺間の営業申請を行い、高崎市内でも乗合バスの運行を始めました。

しかし、当時はまだ小規模のバス事業者が多く、昭和9年に鉄道省が発行した「全国乗合自動車総覧」によると、昭和8年10月現在、高崎市内には上信電鉄、両崎自動車、上野登喜一、昭和自動車商会、多田自動車部、満島商事、工藤太三郎、桜井仙次郎(バス路線は前橋市内のみ)の8社ものバス事業者がありました。加えて、藤岡自動車と前橋市の上毛中央自動車が高崎市内に乗り入れていました。

昭和8年10月、自動車交通事業法が施行されると、事業者間に自主統合の気運が起こりました。高崎市内とその周辺の乗合バス事業者は、戦時中の強制統合の過程も含めて上信電気鉄道、東武バス、群馬合同バス(戦後群馬バスと群馬中央バスに分離)の3社に統合されていきました。

(大島登志彦)

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