第37回塚沢村・片岡村・佐野村との合併

たかさき100年第37回写真 塚沢村・片岡村合併当日の関係者(昭和2年4月1日)

高崎市は明治33年の市制施行から約20年間、世帯数と人口は増えましたが、面積はほとんど増えませんでした。初代市長矢島八郎の時、近隣の村と合併を打診したことがあったのですが、まとまりませんでした。

大正7・8年ごろになると、前橋のように近村と合併して市域を拡大し、市の発展を図るべきであるという意見が強くなってきました。

当時、高崎は工場や会社が続々と建てられ、商工業が一層盛んになりました。人口が増加し、市内だけでなく、塚沢村や片岡村に住む人も多くなりました。市も発展のため、工場や住宅用の新しい土地を必要とするようになっていったのです。

内田・古木・土谷市長の三代にわたり、近隣の村との合併の話が進められました。土谷市長の時、佐野・片岡・六郷・豊岡・塚沢の五か村と、合併の交渉が一斉に進められ、大正12年、片岡村との交渉が成立するところでしたが、市会議員などの反対で成立しませんでした。

翌13年、近隣5か村との合併は、高崎の発展に不可欠であるという意見が再び高まり、塚沢・片岡・佐野村と交渉を行いましたが、佐野村との交渉は成立せず、塚沢村・片岡村と合併することになりました。

片岡・塚沢村との正式合併までには紆余曲折がありました。片岡村では、合併して都市化されると農村の平穏な生活が乱れ、税金も高くなることなどを心配した一部の村民から強い反対運動が起きました。塚沢村は最初合併に賛成でしたが、直前になって、協定通りの条件が満たされていないだけでなく、増税になるという理由で、村長自身が反対に回り、村民大会まで開かれました。こうした問題も、仲介者の努力により収まり、昭和2年(1927)4月1日、塚沢村と片岡村は高崎市に合併したのです。市長は、土谷市長から青木市長に代わっていました。

佐野村との合併は、長年の懸案でした。昭和十年代になると、高崎駅東側の地域に工場や会社が続々と設立されるようになり、増加した人口は隣接する佐野村地内に流れ、住宅が建設されるようになりました。佐野村は、工場や会社の誘致による村の発展を期待し、高崎市は工場用地や住宅地を佐野村に求めたのです。合併の話はスムーズに進み、昭和14年(1939)10月1日、久保田市長の時、佐野村は高崎市に合併、市の人口は8万人を突破しました。

(石原征明)

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