第39回山名「御警衛」事件

たかさき100年第39回写真 山名御野立所跡の碑

昭和9年(1934)11月11日から4日間にわたり、陸海軍を統帥する大元帥である天皇陛下を迎え、群馬・栃木・埼玉を舞台に陸軍特別大演習が行われました。3日目の13日、多野郡八幡村山名野外統監部への天皇陛下臨場に際し、警備上の不手際があり、責任を感じた山名駐在の渡辺弘巡査が桑畑で割腹するという事件が起こりました。また、演習後の16日、桐生市巡行の際、先導車が道順を誤るという有名な鹵簿誤導事件もありました。

11月19日、立憲政友会の県会議員は緊急総会を開き、県警察部長の辞職勧告決議書をまとめています。決議書には、今回天皇陛下を迎えることは「本県として千載一遇の光栄とする所」にもかかわらず、この2つの警備失態事件は、「最も重大にして実に恐懼に堪へざる処なり」と問題にしています。

山名の警備不手際というのは、当時の『上毛新聞』『東京朝日新聞』によると次のようなことでした。天皇陛下臨場の野外統監部の候補地は、山名八幡宮山と観音山の2か所で、山名に決定したという正式な通知は、前橋統監部から前日の12日午前11時30分に発表されていました。しかし、天皇陛下の山名到着予定が午前7時30分ごろであったにもかかわらず、県警察部の手配が遅れたため、警官が警備位置に着いたのは当日の午前5時ごろでした。すでに山名付近は多数の群衆が殺到して大変混乱していました。割腹した渡辺巡査は、高崎市内の取締まりを命ぜられ不在でしたが、駐在地の失態の責任を感じ事に及んだもので、警察部の無統制の犠牲になったのではないかと報じています。

なお、当日青年団員として山名の警備に当たっていた伊藤幸一氏によると、13日の当日、前夜から集まっていた近郷近在の何千人という群衆は誘導され、八幡神社とは反対側の小高い畑地に集められていたため、特に問題はなかったということです。一方、八幡神社参道には地元山名の人たちが多数詰めかけていました。しかし、整理が不十分であったため天皇陛下が馬に乗って通る道路には、綱も張られていなかったそうです。上信電鉄で山名駅に到着した天皇陛下が白馬に乗り換え山上に向かう際、群衆が前へ前へと出たため、最前列の人は天皇陛下の馬に手で触れることができるほどであったそうです。

(岩根承成)

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