第52回群馬県護国神社の創建

たかさき100年第52回写真 創建当時の群馬県護国神社

群馬県護国神社が高崎市に創建されたのは、昭和16年(1941)のことでした。護国神社の源流は、招魂社にあります。招魂社は、戊辰戦争以来、西南戦争、日清・日露戦争、昭和に入ってからの満州事変などの諸事変に戦死した霊を祭祀するために、全国各地に建立され、150社を数えました。群馬県でも、館林(明治2年創建、現邑楽護国神社)と前橋(明治12年創建、現厩橋護国神社)に招魂社がありました。

群馬県では、日露戦争後に群馬県犒軍会が創設され、これが群馬県招魂会と改称し、高崎公園内に英霊殿を設けて、明治維新以来の県内戦死者や歩兵第十五連隊に属して戦病死した者の霊を合祀して、招魂祭を行ってきました。しかし、昭和13年に歩兵十五連隊の役山久義少将は、英霊殿が老朽化し余りにも貧弱なので、高崎市に靖国神社の分社を建立する計画を立て、誘致運動を展開しました。靖国神社の分社が高崎市に建立されることが内定した時期に、全国的に靖国神社の分社を1府県1社建立しようという計画が検討されたため、前橋市も名乗りを挙げ猛烈な誘致運動を開始しました。高崎・前橋両市の陳情合戦となった靖国神社分社誘致問題も、次に紹介する護国神社制度によって解決しました。

政府は日中戦争が本格化すると、昭和14年3月に招魂社を一斉に「護国神社」と改称し、護国神社を府県社に相当する「指定護国神社」と「指定外護国神社」の二種に分け、内務大臣が指定する護国神社には社名に府県名を付け、1府県1社を原則としました。そこで、群馬県でも、この護国神社制度に基づき、指定護国神社を創建するために、昭和14年7月に知事を会長とする「群馬県護国神社造営委員会」を発足させました。

同委員会では、同年12月に社地を「高崎観音山麓・天神山(鎌田平)」(高崎市大字乗附)に決定しました。起工式は翌年3月に行われ、16年11月18日竣工式、19日鎮座祭、20日例大祭が執行されました。起工式には片岡小学校から選ばれた高橋ヒロ(14)と荻野うた子(13)が「白衣紅袴」で「草刈初の式」と「初穿の式」を奉仕しました。

群馬県護国神社の総工費は25万円で、社殿は神明白木造り、東南に面し、皇居を遥拝するように建てられ、英霊として3578柱が祀られました。

(手島仁)

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