第59回農地改革と高崎

たかさき100年第59回写真 岩鼻村(当時)の農地解放台帳

農地改革は、第二次世界大戦後に行われた民主化に向けた大きな経済改革の1つです。明治・大正時代に地主制度が進んだことで小作農が増え、高い小作料や地主の土地取り上げなどをめぐり、全国各地で小作争議が続いていました。

このような地主と小作人の封建的な関係をなくすため、昭和21年(1946)10月、占領軍の指令に基づき、政府により農地改革案がまとめられました。

この改革案では、自らは耕作しないで、居住地から離れた地区に多くの田畑を所有している「不在地主」の小作地を、政府がすべて買収して小作人に売り渡すという、自作農の創設を目指しました。また、自作地や小作地の近くに居住している「在村地主」の保有小作地を1町歩(約1ヘクタール)、自作地の限度を3町歩程度と定めました。

高崎市では、「在村地主」の保有小作地を0.5町歩、自作地を1.9町歩としたことで、国の改革案どおりの解放を行った他市町村に比べ、多くの小作地を解放することができました。県内で高崎市と同様に「在村地主」の保有面積を縮小できたのは、前橋市と桐生市でした。

また、昭和21年12月21日に農地委員会の代表が選挙され、農地改革を実施していきました。農地委員会は、各市町村に1つが原則でしたが、高崎市では旧市街地のほか、戦前からすでに合併していた塚沢・片岡・佐野の三地区にもそれぞれ農地委員会を置きました。

これは、高崎市全体で一つの委員会を置くだけでは、「不在地主」が「在村地主」として認められてしまい、「不在地主」が所有している小作地を解放することができなくなってしまうからでした。

高崎市のように一市に複数の農地委員会が設置されたのは、県内では伊勢崎市、桐生市、太田町(現太田市)でした。

高崎市における農地改革の結果を「農地等解放実態調査」で見ると、自作地は約1,700町歩増えて2倍になり、小作地は約1,500町歩減少して4分の1に、「不在地主」はすべてなくなりました。自作農家数は2倍になり、小作農家はほとんどなくなりました。

この農地改革によって、旧来の地主制度が廃止され、小作争議のない民主的な農村社会の基盤がつくられ、戦後日本の経済復興の基礎になりました。

(西島満)

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