第63回戦後の町村合併 その1

たかさき100年第63回写真
懇談する合併関係者(左から旧豊岡村の梁瀬村長、旧中川村の武井村長、旧八幡村の松原村長、1人おいて小島高崎市長、旧新高尾村の反町村長。昭和30年1月23日の高崎市民新聞より)

第二次世界大戦が終わりしばらくすると、交通・通信が発達して広域的な行政が行えるようになりました。政府は町村合併を進め、財政基盤のしっかりした地方自治体や新しい市をつくろうと考えました。高崎市と隣接し市街化が進んでいた六郷村が、昭和26年に合併したのは、政府の考えを先取りしたものといえます。

六郷村の合併は、高崎市の水害を防ぐ県営の北部排水路工事が六郷村にまたがっていること、国が六郷村を高崎市の都市計画区域に指定していたこと、北部には発展の可能性があることなどでした。

六郷村では、村議会が全会一致で合併案を可決、昭和26年4月1日高崎市に合併しました。その結果、高崎市の人口は9万7千余人、世帯2万千余戸となり、この時点で県下第一の都市となりました。

昭和28年10月に、「町村合併促進法」が施行され、県から合併の試案が出されましたが、原則はあくまでも住民の自由意志にまかせるという方針でした。この点は、明治期の町村合併とは大きく違っていました。

県の合併試案とは別に、高崎市が合併の申し出を受けて合併の対象とした村は、群馬郡の中川・新高尾・大類・長野・京ケ島・岩鼻の6か村のほか、碓氷郡の豊岡・八幡、多野郡の八幡の3か村でした。

合併対象となっていた9か村のうち、碓氷郡豊岡村・八幡村、群馬郡中川村・新高尾村の4か村が昭和30年1月20日、高崎市に合併しました。合併により高崎市の人口は約12万人、面積も65.37平方キロメートルに広がり、住宅建設や工場誘致も進み、東京の衛星都市・観光保健都市の実現を目指して発展していくことになりました。この合併のとき、新高尾村では前橋に近い鳥羽地区と中尾地区の一部が分村し、前橋に編入されることになりました。

一方、高崎市と合併するか、京ケ島村・滝川村と合併するか村内の意見が対立していた大類村や、財産区(村有林)の問題で意見が合わなかった長野村、また倉賀野町や京ケ島・滝川村との合併の話があった岩鼻村の3か村は、このときの合併には間に合いませんでした。

昭和30年8月1日、財産区問題で合併が遅れていた長野村も高崎市に合併しました。この合併で高崎市は南北約10キロメートル、東西約10キロメートル、面積71平方キロメートルに、人口は約12万5千人となりました。

(石原征明)

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