第67回路面電車の廃止と道路の拡張

たかさき100年第67回写真 「市内新町を走る路面電車」田部井康修氏撮影

高崎と渋川間を結ぶ路面電車(東武鉄道軌道線)は、明治43年(1910)に開通し、幾多の変遷を経ながら沿線住民の足として活躍していました。

昭和20年代の後半、商工業に活況がよみがえり、トラックなど大型輸送機関が普及してくると、道路整備の立ち遅れが指摘されるようになりました。市街地の中心部を通る路面電車は、自動車交通にとってじゃまものであるという人や、電車の運行によって商売に支障が出ているという沿線商店街の意見もあり、次第に撤去の動きが高まってきました。さらに大型バスが登場し、そのスピード・輸送力は、路面電車の代替輸送機関として十分機能するという見通しもありました。

電車が通過する沿線の市町村長や議会議長が、軌道線を経営する東武鉄道に撤去要望書を提出したこともあって、東武鉄道は昭和28年2月に運輸・建設両省へ廃止許可申請を行いました。一方、通勤・通学に路面電車を利用している人たちや東武鉄道の労働組合から廃止反対の声も上がり、同年四月に運輸省運輸審議会の公聴会が開かれました。廃止賛成側の公述人として、高崎市から当時の市長・市議会議長・商工会議所会頭が出席しました。

昭和28年5月12日には、路線廃止が許可され、開業から43年間親しまれてきた路面電車は、6月30日限りでその歴史に幕を閉じました。

電車の廃止後、沿線の市町村では道路の舗装工事が進みました。高崎の市街地でも、昭和28年9月までに線路の撤去と舗装工事が終了し、田町、九蔵町通りの交通の流れは多少よくなりました。しかし、トラック・バスなどの増加に伴い、さらに対応が必要となり、市街地の有志が道路拡幅について市に陳情しました。市はこの陳情を受けて、昭和31年度から5か年計画で、9メートルの道路を20メートルに拡幅することにしました。戦災復興ですでに拡幅されていた連雀町地内を除き、昭和31年7月、新町交番前から本町3丁目までの工事に着工しました。すべての工事が完了し、いわゆる「田町通り」が面目を一新したのは、昭和35年のことでした。

その後、本町3丁目から末広町に至る間の拡幅工事が行われ、さらに本町通りから北に通じる旧三国街道にも工事が及び、来るべき自動車交通時代に向けた準備が進められていきました。

(原田雅純)

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