第70回群馬音楽センターと市制六十周年

たかさき100年第70回写真 建設中の群馬音楽センター

昭和31年(1956)6月、群馬フィルハーモニーオーケストラ(群響)の音楽活動が注目され、全国で初めて群馬県が「音楽モデル県」として文部省から指定されました。これを契機に「高崎に音楽センターを」の動きが高まり、直ちに高崎青年会議所が「音楽センター設立促進大会」を主催しました。翌年4月に音楽センター建設促進委員会事務局を開設、12月には住谷市長を委員長とする「音楽センター建設委員会」が結成され、行政・市民一体となった建設運動が展開されました。

昭和34年1月の市議会で、総工費2億5千900万円の音楽センター建設案が可決されました。市財政が苦しく寄付金1億円を募り、うち3千万円を市内一世帯平均1,200円の募金によることとしました。また映画「ここに泉あり」に感動して高崎に転居してきた詩人の崔華国(日本名志賀郁夫)は、本町に音楽茶房「あすなろ」を開店、店頭に募金箱を置いて支援活動を行いました。こうした市民の理解と協力により、募金の目標額は達成されました。

建設場所は、高松町の旧兵舎を転用した引揚者住宅高松寮の跡地に決定、設計は群響初代会長の井上房一郎と親交のあったアントニン・レーモンドに依頼しました。レーモンドはチェコ生まれの建築家で、大正8年旧帝国ホテル建設のため、アメリカの建築家ライトと共に来日、戦前戦後の44年間を日本で活躍しました。設計にあたっては、寄付をした市民の意思を尊重して永く利用される施設であること、城址という環境と共生すること、音楽のほか演劇や集会など多彩な催しに対応できることなどを考慮、設計変更を2回行い、心血を注いだ斬新な力作でした。

昭和34年9月に着工し、36年(1961)7月最終的総工費3億3千500万円で竣工しました。1961年を記念して、1960の座席と1つのステージとしました。

昭和36年7月18日、市制施行60周年、水道創設50周年と併せて音楽センター落成式典が盛大に挙行され、17日間にわたり様々な行事が行われました。特に7月20日から6日間、市内全世帯から1人ずつ約3万人を招待し、高崎出身の花柳徳兵衛の舞踊団や貝谷八百子バレー団の公演を開催しました。

音楽センター前にある碑「ときの市民之を建つ」から、音楽を愛し地方文化の振興を願った当時の人々の熱い思いがしのばれます。

(山口 聰)

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