第72回大型店の進出と商店街

たかさき100年第72回写真 昭和39年、地元資本により開店した藤五百貨店

交通の要衝で集客力のある商都高崎は、県外資本にとって大変魅力のある商圏でした。昭和の初め、大手百貨店が地方への出店を進める中、県下で初めて高島屋ストアが連雀町に出店、市内の小売業界に衝撃が走りました。その対抗策として業種別、町別の枠を超え、商店街を単位として商業者を組織化しようという動きが起こりました。

戦後になり、昭和26年に中央銀座商店街協同組合が設立され、さらに昭和37年には、市内中小商業者の販売促進と大型店に対抗するため、地元商業者の共同経営によりデパート方式を採用した「中央デパート」が設立され、旧高崎観光貿易館跡(宮元町・現スカイビル)にオープンしました。

昭和39年、地元資本による藤五百貨店が開店、昭和43年にはスズランも開店したことを受けて、中央銀座アーケードの設置や、全国に先駆けて商業近代化計画による商業マスタープランを示すなど、各種方策が講じられました。

日本経済が高度成長を続け、個人消費が拡大する中で、昭和45年ごろ、市内には中央スーパー、フードセンター、オノヤ家具店、おしゃれセンター、おしゃれデパート、緑屋、スズラン、高島屋ストア、うろころスーパー、藤五、本店タカハシ、八木橋、十字屋、さくらや、丸専デパートなどがありました。また、すでに駅前通りに出店していたイシズカのほか、両水、マルグン、マツセーなどスーパーの出店もあり、中小小売業者と激しい商戦が繰り広げられました。

昭和45年、全国的に店舗を展開し、地方都市の小売業界に旋風を巻き起こしていたダイエーが高崎に進出するという情報が流れると高崎の小売業者は不安を募らせました。 昭和50年4月、藤五伊勢丹(昭和48年に商号変更)が新館を開店、翌年以降ニチイの開店、スズランの増床、ダイエー・高島屋の開店などが続き、人の流れが変化したため、中心部にあった十字屋、緑屋が撤退しました。一方、セキチュー、島忠が高前バイパス沿いに進出し、モータリゼーションを背景とした郊外化への流れも目立ってきました。

通産省の商業統計調査を見ると、年間販売額構成比において、郊外が市中心部を上回ったのは昭和54年のことでした。そして、町の顔である中心商店街が様変わりし、商業環境は一変しました。

(高階 勇輔)

このページの担当

  • 広報広聴課
  • 電話:027-321-1205
  • ファクス:027-328-2726