第74回工業団地の造成と工場誘致

たかさき100年第74回写真 現在の倉賀野工業団地

昭和27年(1952)7月、戦後の混乱で停滞していた市内産業振興のため、高崎市工場設置奨励条例が制定されました。従業員数50人以上、資本金1千万円以上の工場に対して奨励金などの援助を行うもので、産業の育成と工場誘致が目的でした。昭和33年、沖電気工業が新後閑町(現双葉町)に新工場を設立したのが工場誘致の最初でした。

昭和30年代の高度経済成長期に工業団地の造成が進められ、特に昭和36年5月には、首都圏整備法に基づいて前橋・高崎地区が市街地開発区域として指定を受け、造成は急速に進みました。

昭和34年から、高崎市都市建設整備協会が八幡工業団地を造成、38年には群馬県企業局と共同で大八木工業団地を造成しました。39年には日本住宅公団が倉賀野工業団地を造成、この団地は新しく宮原町となりました。40年には県企業局が群南工業団地を造成しました。

昭和39年に高崎工業団地造成組合が設立され、工業団地の開発が一段と進み、40年の倉賀野大道南、46年の将軍塚(西横手・島野町)・八幡第二、50年の岩鼻西と続き、この年までに8つの工業団地が造成されました。

工業団地には首都圏からの誘致工場を中心に、旧市街地の既存工場が移転、集団化した企業が進出、いずれも最新の設備を備えた工場が建設されました。八幡工業団地にはミツワ化成(P&G)・NSKトリントン・小島鉄工所など35社、大八木工業団地には東芝レイ・オ・バック(東芝電池)・水島鉄工所など37社、倉賀野工業団地には第一屋製パン・キリンビール・日本専売公社(JT)など9社、群南工業団地には共和産業・豊和製紙など18社、大道南工業団地には昭和電気製鋼など4社、岩鼻西工業団地には日本ケロッグ・高崎金属工業団地協同組合など45社、将軍塚工業団地には日立製作所・古河機械金属の2社、八幡第二工業団地にはクシダ工業など25社が進出し、昭和53年には170社が操業していました。

このような工業の発展について、昭和26年と48年を比較すると、事業所数が996社から1,806社に、従業員数は8,145人から31,006人に急増しています。

工業団地の造成は、商業都市高崎が工業都市の性格も合わせ持つこととなり、商工業都市としての発展の基礎となったのです。

(山口 聰)

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