第75回高前バイパスの完成

たかさき100年第75回写真 開通したころの高前バイパス

高前バイパスは、高崎市並榎町から前橋市石倉町まで延長9.1キロの国道17号バイパス道路です。昭和35年、道路整備計画の一環である高崎・前橋を結ぶ大幹線道路として計画され、翌年度から用地取得などに着手、総工費22億3千300万円をかけ、昭和41年4月25日に開通しました。

従来の国道17号は、高崎市街地から井野・日高を経て前橋へ向かう2車線道路で、3か所ある踏切も交通障害になっていました。バイパスの開通によって、高崎・前橋間の自動車交通の利便は格段に向上しました。開通当時、県内各地でバイパス道路が建設されていたほか、志賀草津高原ルート、赤城有料道路など、山岳観光道路も相次いで開通していました。しかし延長10キロ近くにわたる都市間にバイパスが建設された区間は少なく、4車線に分離された高前バイパスは、北関東で最初の本格的なバイパス道路でした。

このころ、市民の足は乗り合いバスが主力で、高前バイパスの開通に際して、高崎・前橋のバス事業者が路線免許を申請し、激しいバス路線の争奪が行なわれました。その結果、従来から国道17号高崎・前橋線を運行してきた群馬バスと群馬中央バスがバイパス経由高崎―前橋線を日中ほぼ10分おきに運行できたほか、東武バスが高崎―赤城山急行バスで路線免許を得ました。その後、乗り合いバスは縮小傾向に転じたため、この時が乗り合いバス全盛期最後の華やかな拡張事業となったのです。

車社会が進行する中で、高前バイパス沿線には自動車関連企業や大型商店が出店し、昭和50年代には沿線の田園風景はほとんどなくなりなり、道路渋滞も激しさを増しました。

その後、関越自動車道が昭和55年に前橋まで開通、60年には全線開通したため、東京と日本海側を結ぶ大動脈の一部としての高前バイパスの役割は低下しました。さらに、前橋以南で上武道路が開通したため、国道17号の主要ルートも上武道路に移行しつつあります。激しい免許争奪が行われたバイパス経由高崎―前橋線の乗り合いバスも年々縮小され、今では平日に8回、休日に4回運行されているだけです。

しかし、群馬の二大都市高崎・前橋を結ぶ機能は強まっていて、朝夕は激しい渋滞も多くなっています。鉄道や新交通システムも含めた、両市を結ぶ今後の交通行政のあり方が注目されます。

(大島 登志彦)

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