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第76回国立コロニーと福祉のまちづくり

ページID:0005323 更新日:2023年12月18日更新 印刷ページ表示

たかさき100年第76回写真
緑に囲まれた国立コロニーのぞみの園

昭和30年代から40年代の高度経済成長によって、国民の生活水準は向上しましたが、心身障害者のための施設は極めて少ない状況にあり、重度または重症の心身障害者が長期にわたって安心して生活できる総合的福祉施設を建設すべきであるという要望が高まってきました。

昭和40年6月、総理大臣の諮問機関である「社会開発懇談会」は、心身障害者のための「コロニー」を建設すべきであると報告、コロニー建設計画が動き始めました。

昭和41年3月、全国十数か所の候補地から、首都圏にも近く、緑豊かで広大な国有林・県有林のある観音山が建設地に選ばれました。

国立コロニーの設置目的は、一般社会では生活することが困難な心身障害者に治療や訓練などを行うとともに施設内で幸せな生活が送れるようにすることでした。国立コロニーは、昭和46年に設立された特殊法人心身障害者福祉協会が運営にあたりました。

昭和46年4月1日、敷地面積約221ヘクタール、総工費約26億円をかけ、居住棟や診療所・職員宿舎など25棟からなる「国立コロニーのぞみの園」が開園しました。収容定員は550人でしたが、開園当初は49人の園生と249人の職員でスタートしました。

「国立コロニーのぞみの園」という名称は、「園生が将来に向かって大きな『のぞみ』を持ちながら、その日常生活や治療、訓練および作業等を通して、大きく育っていくように」と、当時の大蔵大臣福田赳夫が提唱したものです。

また、日本経済が成長を続ける中、それまで見失われがちであった福祉施策の充実が叫ばれ始めました。高崎市でも昭和47年、沼賀健次市長が「高崎市の基本構想」を提示、構想の第一の柱として「健康福祉都市」を掲げ、市民福祉の向上と快適な生活環境の整備を最重点施策とするというものでした。

昭和48年、高崎市は京都市や仙台市など6都市とともに全国で初めて身体障害者福祉モデル都市に指定され、「身体障害者が健常者と同様に市民活動が行えるような街づくりを促進する」と宣言しました。市街地の歩道段差の解消や視覚障害者用音響信号機の設置、公共施設入り口のスロープ化などを全国に先駆けて行い、現在も障害者や高齢者が安心して生活ができる福祉のまちづくりを推進しています。

(金井 千廣)