第79回高崎哲学堂の設立運動

たかさき100年第79回写真 レーモンド設計の高崎哲学堂の模型

高崎哲学堂の設立運動は、昭和44年(1969)1月、市内の実業家井上房一郎が提唱した「哲学とは、私たちが私たちの社会に賢明に生きようとする願望の学問です。高崎哲学堂は、現在の政治や教育の手の届かぬことを勉強する高崎の寺小屋です」をモットーに発足しました。経済の発展によって「モノ」の豊かさを追い求める当時の社会風潮に対して、“人間とは何か”“どう生きたらよいのか”など、生活のあり方を真剣に考え、学び合い、心の豊かさを育成しようとするものでした。

井上は昭和5年、久保田宗太郎・住谷啓三郎らの青年たちと新生会を結成して、高崎の文化振興に取り組み始め、事業の傍ら、ブルーノ・タウトを招いて工芸運動を展開したり、高野山の慈眼院を観音山に勧請しました。戦後は、高崎市民オーケストラの創設と群馬音楽センターの建設運動のほか、群馬県立近代美術館の設立など、高崎の文化創造の重鎮として活躍しました。そのまとめが、哲学する心を育て、市民の精神的よりどころとする哲学堂の構想でした。

設立準備会を結成し、新しい知識を学び思索する場として、著名な文化人を招いて講演会を開催しました。

第1回は昭和44年、増谷文雄の「仏教思想と現代」を開催、平成11年まで320回、月1回の割合で実施しています。講師には昨年文化勲章を受賞した哲学者の梅原猛の30回を初め、源了圓、湯川秀樹、司馬遼太郎、ドナルド・キーン、芳賀徹、上田正昭、鶴見和子、福永光司などの専門家を招き、内容も歴史から科学まで多岐にわたっています。

昭和55年に財団法人の認可を受け「高崎哲学堂設立の会」と改称、井上が初代理事長となり、翌年から月刊機関紙「よろこばしき知識」を刊行しました。哲学堂の設計は、音楽センターを設計したアントニン・レーモンドに依頼、模型も造られていますが、井上は「建物があるにこしたことはないが、運動そのものが哲学堂」と語っていました。平成5年、志なかばで死去、原一雄第二代理事長が運動を継承、現在の会員数は約800人、募金による基金は1億3千万円になろうとしています。

今年、市制施行100周年を迎えた高崎市は、「未来・げんき・高崎100年」をテーマに掲げています。市民レベルで心の豊かさを大切にし、学び合い、思索する市民の輪を広げようとする哲学堂設立の運動は、新しい世紀に向けた貴重な文化運動といえます。

(山口 聰)

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