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第82回沼賀市政から松浦市政へ

ページID:0005332 更新日:2023年12月18日更新 印刷ページ表示

たかさき100年第82回写真
昭和46年から4期市長を務めた沼賀健次

昭和46年の高崎市長選挙は、4人が立候補、活発な選挙戦を展開しました。新人の沼賀健次が47,834票を獲得し当選、前市長の住谷啓三郎は36,703票を得たものの次点で5選を阻まれました。吉井英太郎は26,179票、宮沢忠夫は5,188票でした。

沼賀は元県立高崎商業高等学校校長で、市民党を旗印に多くの高商同窓生が中心となって活発に動いたといわれています。その後昭和50年は無投票当選、同54年は3選出馬した沼賀が74,756票を得て松沢睦(50,518票)と田崎登(1,860票)を破りました。さらに、58年には無競争で4選を果たしました。こうして沼賀は昭和62年春まで4期16年間、高度成長期に市政を担当し、青年センターをはじめ、農業総合センター、医療センター、歯科医療センター、総合文化会館、シルバー人材センター、六郷・片岡・京ケ島・八幡長寿センター、武徳殿、東消防署、総合卸売市場、浜川体育館、上並榎テニスコートなどを完成させました。また、あかぎ国体の成功、市農協の合併、市民憲章の制定のほか、市内小中学校・養護学校の完全給食化も推進しました。この間、人口も23万人を超えました。沼賀は、「型にはまらぬ野人」と評され、市民各層から絶大な支援を得ました。

昭和62年春の市長選は、激戦の結果、松浦幸雄41,066票、次点の佐藤国雄が32,297票、越谷哲男30,364票、吉田康一郎24,187票となり、松浦市政が誕生しました。その後、平成3年と7年は無投票、11年は12年ぶりの選挙となり、松浦幸雄78,707票、原賢治33,008票で松浦が4選を果たしました。

高崎市は、「交流拠点都市」から、さらに安心して暮らし続けられ、「世界に開かれた地球市民のまち」づくりを目指しています。松浦市政の足跡は、市街地再開発事業の推進や人口24万人の達成、姉妹友好都市との高崎サミット開催のほか、市民生活に密着した事業として、市内循環バスぐるりんの運行、コミュニティFM放送ラジオ高崎の開局、シンフォニーロードの開通などがあります。そのほか、染料植物園や経済大学地域政策学部、駐車場案内システムの設置、そして新市庁舎、シティギャラリーのオープンなど、着々と成果を上げ、今年、市制100周年を迎えました。

(森田 秀策)