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承徳市

ページID:0004376 更新日:2023年12月18日更新 印刷ページ表示

交流のあゆみ

中華人民共和国国旗 承徳地図

承徳市との交流は、1980年高崎市日中友好協会訪中団が初めて承徳市を訪れた時から始まります。

以後、数度にわたる相互訪問を経て、1985年高崎市中国友好視察団が承徳市を訪問、両市の経済・文化交流に関しての会談を行いました。これにより両市の経済・文化交流が具現化し、翌1986年に経済文化協定を締結。1987年1月には、承徳市より、経済文化協定の具体的事業の1つである農業実習生が高崎に派遣されました。

こうして、より密接な交流を行う下地が整えられ、友好都市提携の気運が急速に盛り上がりました。1987年3月、承徳市長から友好都市提携のための先遣団派遣の打診を受け、友好都市提携の機は熟したとして、同年7月、高崎市より友好都市提携先遣団を派遣し、同年10月、高崎市で友好都市提携を行いました。

承徳市の概要

承徳市は中華人民共和国河北省東北部にあり、北京から約250キロメートルの地点に位置しています。

承徳市は、明代、清代初期までは熱河上営と呼ばれ、熱河庁が設置され、その恵まれた気候・風土により、北京と並ぶ清朝政府第2の政治活動の場となっていました。雍正帝(1723~1735)の時代に、父康煕帝の「徳を受け継ぐ」の意思を表すため、1733年、庁を廃し、承徳州を設けました。承徳の名はこれにはじまります。

辛亥革命後、熱河特別区となり、その後、熱河省の省都となりましたが、1956年熱河省は廃止され、河北省に所属しました。

承徳市は燕山丘陵地帯海抜320メートルの、夏涼しい住みよい自然環境にあります。その恵まれた気候・風景と観光資源とにより、観光サービスに特に力をいれています。避暑山荘や外八廟など、中国を代表する建造物が数多く点在し、その輝かしい歴史と文化、ならびに山紫水明の素晴しさは国内外で有名です。

承徳市の全面積は約4万平方キロメートルで、総人口約340万人の多民族都市で、漢族、回族、満州族、モンゴル族、朝鮮族等、18の民族がいます。その多くは農業に従事していますが、鉄鋼、石炭、機械、食品等を中心とした工業も盛んで、絹織物、缶詰、食品の輸出を行っています。

承徳市公式WEBサイト<外部リンク>