多胡碑

高崎市にある指定文化財 国指定

 多胡碑 

多胡碑は、和銅4(711)年に多胡郡(現在の吉井町と山名町を中心とする地域)が設置されたことを記念して建てられた石碑で、栃木県大田原市にある那須国造碑と宮城県多賀城市にある多賀城碑とともに日本三古碑と呼ばれています。また、同じ古代の多胡郡域にある山上碑(681年)と金井沢碑(726年)とあわせて上野三碑とも呼ばれています。 

多胡碑は、吉井町南部で採れる牛伏砂岩を加工してつくられていて、笠石・碑身・台石から構成されています。碑文は6行にわたって80文字が楷書体で刻まれています。

碑文には、和銅4年3月9日に片岡郡・緑野郡・甘良郡から300戸を分割して、新たに多胡郡を設置したことが記されています。同様の記述が『続日本紀』にもみられます。

多胡郡の設置の背景については、当時の律令国家がすすめていた蝦夷政策との関わりや地域の勢力バランスの是正などが指摘されています。

多胡碑の保護の面では、明治15(1882)年に初代の群馬県令だった楫取素彦(かとりもとひこ)(吉田松陰の義弟)が内務省にかけあって木柵等の修理をおこなっています。さらに楫取

は地元の有志に、寄付を募って多胡碑のある稲荷明神社周辺の土地を買収して整備するよう助言し、自らも寄付をおこないました。

こうした人々の努力によって、多胡碑が保護され、現在もその姿をみることができます。

文化財情報

  • 指定種別:国指定特別史跡
  • 名称:多胡碑(たごひ)
  • 指定年月日:昭和29年3月20日(史跡指定 大正10年3月3日)
  • 所在地:高崎市吉井町池 地図(地図情報システム)

銘文

弁官符上野国片岡郡緑野郡甘
良郡并三郡内三百戸郡成給羊
成多胡郡和銅四年三月九日甲寅
宣左中弁正五位下多治比真人
太政官二品穂積親王左太臣正二
位石上尊右太臣正二位藤原尊

現代語訳

朝廷の弁官局から命令があった。上野国片岡郡・緑野郡・甘良郡の三郡の中から三百戸を分けて新たに郡をつくり、羊に支配を任せる。郡の名は多胡郡としなさい。和銅四(711)年三月九日甲寅。左中弁正五位下多治比真人による宣旨である。太政官の二品穂積親王、左太臣正二位石上(麻呂)尊、右太臣二位藤原(不比等)尊。

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