小栗上野介忠順の墓
小栗上野介忠順の墓
幕末開明の人、遣米使節の後、勘定奉行などの要職につき、横須賀製鉄所の設立を初め、日本の近代文化のために多くの業績を残しました。明治になり権田に隠棲しましたが、「反逆の企て」があるとされ非業な最後を遂げました。市内倉渕町権田の東善寺境内に小栗上野介父子の墓があります。
小栗上野介に関連した史跡としては、ほかに観音山小栗邸跡、 小栗上野介忠順終焉の地が高崎市指定史跡となっています。
文化財情報
- 指定種別:群馬県指定史跡
- 名称:小栗上野介忠順の墓 (おぐりこうずけのすけただまさのはか)
- 指定年月日:昭和28年8月25日
- 所在地:高崎市倉渕町権田 地図(地図情報システムを新しいウインドウで表示)