佐野の船橋歌碑

高崎市にある指定文化財 市指定

歌碑
佐野の船橋歌碑

船橋とは船をたくさん浮かべて橋のかわりにしたものです。高崎には、この船橋をめぐる悲しい民話が伝わっています。 

「佐野の船橋の民話」 むかし、烏川という川ををはさんで2つの村があり、それぞれに朝日の長者と夕日の長者が住んでいました。 村人たちは2つの村の間に船橋を作って行きを来していました。

朝日の長者にはナミという娘が、夕日の長者には小治朗という息子がいましたが、2人はいつしか舟橋を渡ってデートを重ねるようになりました。しかしある夜デートの邪魔のために船橋のまん中の橋板がはずされてしまったのです。

真っ暗な夜のこと、足元はぜんぜん見えません。何も知らない2人はそれぞれの岸から船橋を渡ろうとしたのですが・・・。 翌朝、かわいそうに、しっかりと抱き合ったままの姿で2人の遺体が川から発見されました。

それから先、不思議なことに船橋の近くで毎晩のように怪しい炎が燃えるようになったのです。

村人たちは2人の供養を行いました。その後は、怪しい炎は見えなくなったそうです。 

歌碑には船木(ふなき)観音の文字と、馬頭(ばとう)観音の線刻画像(せんこくがぞう)の下に、万葉仮名で、 「かみつけの佐野の船はしとりはなし、親はさくれどわはさかるがへ」

と刻まれています。これは、万葉集巻十四、東歌(あづまうた)の一首です。 この碑は文政10(1827)年、高崎城下新町(現在のあら町)にある延養寺の住職良翁(りょうおう)が建てたものです。良翁は文学僧として知られ、「以呂波便蒙鈔(いろはべんもうしょう)」や、天明3(1783)年の浅間山噴火について記した「砂降記」などの著作を残しています。 船橋はここから見下ろした佐野窪(さのくぼ)の田んぼの中に石宮があり、そこが橋のたもとであったと伝えられています。

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