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長野氏累代の墓

ページID:0005518 更新日:2023年12月18日更新 印刷ページ表示

高崎市にある指定文化財 市指定

​長野氏累代の墓の画像
長野氏累代の墓

来迎寺にある長野氏累代の墓は、長野氏滅亡後、まわりの濠の中に崩れ落ちて埋められていたものもありましたが、大正12年ごろ、長野氏の子孫の人たちが発掘し、現在地に整理して安置したものです。石塔の組み方に寄せ集めのものがあるのは、そのためです。

墓地には五輪塔(ごりんとう)8基、宝篋印塔(ほうきょういんとう)6基が整然と並べられていて、墓地に立つと、長野氏往時の盛んな様を偲ぶことができます。年号を読み取れるものもいくつかあり、至徳元(1384)年、応永9(1402)年、永享11(1439)年、寛正4(1463)年、応仁3(1469)年、明応9(1500)年、文亀3(1503)年、享禄元(1528)年などです。14世紀後半から16世紀前半の所産といえます。

文化財情報

  • 指定種別:高崎市指定史跡
  • 名称:長野氏累代の墓(ながのしるいだいのはか)
  • 指定年月日:昭和49年1月31日
  • 所在地:高崎市浜川町(来迎寺)地図(地図情報システム)<外部リンク>