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岩鼻代官吉川栄左衛門貞寛の墓

ページID:0002408 更新日:2023年12月18日更新 印刷ページ表示

​高崎市にある指定文化財 市指定

吉川栄左衛門貞寛の墓の画像
吉川栄左衛門貞寛の墓

上野国の幕府領(利根郡、吾妻郡、群馬郡、碓氷郡、甘楽郡などに広がっていました。)を統括する陣屋(じんや)が置かれたのは寛政5(1793)年のことでした。

天明3(1783)年浅間山爆発の直撃を受け、西上州は大飢饉(だいききん)に見舞われました。人心の安定と、荒れた田畑の再開発という使命を帯びて、初代代官になったのは、幕臣吉川栄左衛門貞寛でした。

栄左衛門は19年間岩鼻代官の職にあり、善政を行いましたが、文化7(1810)年11月13日に69歳で病没し、代官所役人及び家族と共に、この地に葬られています。

文化財情報

  • 指定種別:高崎市指定史跡
  • 名称:岩鼻代官吉川栄左衛門貞寛の墓(いわはなだいかんよしかわえいざえもんさだひろのはか)
  • 指定年月日:昭和58年2月16日
  • 所在地:高崎市岩鼻町(観音寺) 地図(地図情報システム)<外部リンク>