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松山城跡
高崎市にある指定文化財 市指定
松山城跡は下室田小学校北西の山上にあります。金毘羅神社がある部分がかつての本郭で、東西約32メートル、南北約17メートルの楕円形をしています。本郭とその東側にある第2の郭が城の主要部となり、その周囲に階段状に郭が形成されています。
天正10(1582)年、神流川の合戦に敗れ伊勢へ退去した滝川一益に替わり、後北条氏が西上州へ進出しました。松山城は、この時吾妻方面攻略の拠点として後北条氏の家臣である上田朝直の子信善により築かれました。城の名は、上田氏が武蔵国松山城主であったことにちなむと言われています。
文化財情報
- 指定種別:高崎市指定史跡
- 名称:松山城跡(まつやまじょうあと)
- 指定年月日:昭和63年5月16日
- 所在地:高崎市下室田町 地図(地図情報システム)<外部リンク>