ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
現在地 トップページ > 分類でさがす > 文化・観光 > 歴史・文化財 > 文化財 > 高崎市文化財情報 > 文化財 > その他の文化財 > 頼政神社社宝(稲妻の鎧、白銀造太刀、丁丑筆話)

本文

頼政神社社宝(稲妻の鎧、白銀造太刀、丁丑筆話)

ページID:0006555 更新日:2023年12月18日更新 印刷ページ表示

高崎市にある指定文化財 市指定

頼政神社は高崎藩主松平(大河内)家の遠祖にあたる源頼政(みなもとのよりまさ)を祭った神社です。松平(大河内)輝貞により元禄11(1695)年に石上寺境内に建立され、その後享保3(1718)年に現在地へ遷座しています。

境内には内村鑑三の漢詩「上州人」の碑が建てられています。

稲妻の鎧

稲妻の鎧の画像
稲妻の鎧

稲妻の鎧は、篭手(こて)に雷文があることから、この名前がついています。この鎧は、松平(大河内)輝聴(てるとし)が、黒船来航など世情風雲急を告げた天保(1830~1844年)の頃造らせたもので、大鎧(おおよろい)の形をとっていて、古い小札(こざね)も一部用いられています。
高崎藩最後の藩主で、版籍奉還(はんせきほうかん)後高崎県知事になった輝声(てるな)が、明治になって奉納したものです。

白銀造太刀

白銀造太刀の画像
白銀造太刀

輝貞が元禄時代に武蔵国の刀匠(とうしょう)藤原助隣に作らせたもので、箱書に元禄12(1699)年の年号が記してあります。

丁丑筆話

丁丑筆話の画像
丁丑筆話

丁丑筆話は、最後の高崎藩主松平(大河内)輝声と中国人の筆談の記録で明治10(1877)年のものです。輝声は、嘉永元(1848)年高崎場内に生まれ、13歳で父輝聴より家督を相続しています。廃藩置県後は、東京浅草今戸の自邸桂林荘(けいりんそう)に住み、漢詩文を研究したり、中国人などと交流し漢文で筆談もしています。

文化財情報

  • 指定種別:高崎市指定重要文化財
  • 名称:頼政神社社宝(よりまさじんじゃしゃほう)
         稲妻の鎧(いなづまのよろい)・白銀造太刀(しろがねづくりのたち)・丁丑筆話(ていちゅうひつわ)
  • 指定年月日:昭和44年3月25日

※社宝としては他に諸大名連歌帖が、群馬県指定重要文化財に指定されています。