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倉賀野神社算額
高崎市にある指定文化財 市指定
倉賀野神社の算額
この額は慶応3(1867)年に奉献されたもので、和算の問題、解答、解き方の順で二つの問題が書かれています。最後に鈴木右衛門勝森と署名があり、弟子と考えられる10名が連署しています。
寛政年間(1789~1800)、関流(せきりゅう)の和算家の小野栄重※や石田玄圭(げんけい)らが、西毛や中毛地域で活躍していましたが、その影響がここにも現れているわけで、文化の地方への広がりを物語っています。
※小野栄重(おのえいじゅう):宝暦13(1763)年から天保2(1831)年まで生存した安中の和算家です。藤田貞資に和算を学び、伊能忠敬に従って、日本の地形測量にあたりましたが、健康を害して板鼻(いたはな)に帰り、和算を教授するようになりました。墓は板鼻の南窓寺にあります。
文化財情報
- 指定種別:高崎市指定重要文化財
- 名称:倉賀野神社算額(くらがのじんじゃさんがく)
- 指定年月日:昭和51年1月14日
- 所在地:高崎市倉賀野町(倉賀野神社) 地図(地図情報システム)<外部リンク>