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守随彦三郎の墓

ページID:0004217 更新日:2023年12月18日更新 印刷ページ表示

​高崎市にある指定文化財 市指定

大信寺にある守随彦三郎の墓の画像
大信寺にある守随彦三郎の墓

承応2(1653)年に江戸の守随家、京都の神家はともに幕府から江戸、京都の秤座(はかりざ)にそれぞれ指定され、守随家は東33ヶ国、神家は西33ヶ国における秤の製造、販売に対する独占的な権利だけでなく、秤の監督権も与えられるようになりました。

このような強権に基づいて江戸・京都秤座の手代(てだい)は幕府の権威を奉じて諸国をまわり、検定を行い、古い秤を廃棄して幕府の統制を一層強力にする役割を果たしました。

江戸秤座の守随家は、江戸時代を通じて東日本各地に出店を出しましたが、三代目も次男が名古屋へ、四代目の三男彦三郎は高崎に「支店」を開きました。それほど当時の高崎は重要視されていたのでしょう。

文化財情報

  • 指定種別:高崎市指定重要文化財
  • 名称:守随彦三郎の墓(しゅずいひこさぶろうのはか)
  • 指定年月日:昭和51年1月14日
  • 所在地:高崎市通町(大信寺) 地図(地図情報システム)<外部リンク>