八幡八幡宮の唐銅燈籠

高崎市にある指定文化財 市指定

唐銅燈籠 八幡八幡宮の唐銅燈籠

 燈籠 西側の燈籠 

この燈籠(とうろう:東西一対)は高崎田町出身で、横浜弁天通において糸繭商を営み、日本有数の大商人となった野澤屋惣兵衛(茂木惣兵衛)が大願主となって、幕末の慶応元(1865)年より開始さた八幡八幡宮の大修復事業の記念物として、金三百両をもって作成し、慶応三(1867)年に奉納されたものです。

大願主の野澤屋惣兵衛は、この八幡八幡宮の本殿及び摂社・末社・附属建物等、計13の新築あるいは修復に力を注いだ人物で、高崎・横浜の糸繭商人を中心に、諸商人・養蚕人をはじめ、来舶清国商人にまで呼びかけを行い、加えて地元氏子や西毛・北毛地区の信仰者等から広く寄附を募っていることが、燈籠に刻まれた銘文などから見て取ることができます。

群馬県に現存する糸繭商人献納の燈籠は、富岡市の貫前神社のもの、妙義町の妙義神社のもの、そして八幡八幡宮の唐銅燈籠が知られています。この燈籠は、幕末の八幡八幡宮社殿の改修を記録した貴重な資料として、また近世における生絹生産地域高崎の商人たちの意気込みがうかがえる資料として高い価値を持っています。

野澤屋惣兵衛ってどんな人?

文政十(1827)年高崎の質商大黒屋茂木惣七の長男として生まれた惣兵衛は、横浜開港後弁天通にあった野澤屋に入った後、のれんを譲り受けました。

主に生糸を扱う商人となりましたが、明治期に入ると本業の生糸商と共に、第二国立銀行等の創設に尽力し、名実共に明治期を代表する経済人としての地位を確立しました。

高崎においても彼の経営する茂木銀行支店を九蔵町に経営し、郷土の経済発展にも貢献しました。現在茂木銀行及び第二国立銀行は横浜銀行に、野澤屋は横浜松坂屋となって残っています。

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