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第6回たかさき都市景観賞
建築物・まちなみ部門
大山邸
所在地
倉賀野町2044-1
所有者
大山碩也
選考理由
昭和9年に築造された母屋は、旧中山道の拡幅に伴い建築された。母屋は当時の倉賀野在住の職人によって建てられたというが、築造前に建てられていた古い母屋と間取りがほとんど変わっていない。また、玄関前にある松の木は鳶の棟梁の差配によって移植され、母屋ごとみごとに調和している。
昭和63年には五右衛門風呂と土間があった下屋を解体し、蔵を一部改修、さらに奥の新宅をも結ぶように母屋と蔵の間に玄関を造った。また、下屋の部分にあった門を移築するなどさまざまな改修を積み重ねたが、その都度、倉賀野宿の町並みとの調和を考え、現在のような一体的な景観を創り出した。
高崎商科短期大学(現・高崎商科大学)
所在地
根小屋町741
所有者
学校法人高崎佐藤学園
設計者
(株)アルク設計
施工者
昭和建業(株)
選考理由
市街地から烏川にかかる一本松橋の上に出ると、景色がいっぺんに開け、田園風景が広がる。その橋のたもとに建てられた大学である。RC構造の建物ながら屋根は寄せ棟とし、明るい緑青色のフッ素鋼板を使った。一方、外壁は明るいベージュ色の淡い上品な色を基調としながら一階部分をコンクリート打ち放しにし景観上のアクセントとしている。
建築物の配置計画も工夫されており、東側にある住宅地に視線や日陰が及ばないよう配慮したり、また中庭を外に向かって開いたり、塀の高さを低く抑え、植栽帯を多くとる等、田園地帯に建つ大学として周辺環境に十分配慮した優れた景観を創出している。
阿久津邸・植原邸
所在地
飯塚町566,577
所有者
阿久津仲次、植原登喜治
選考理由
渋川街道の飯塚追分あたりを東に入ると歴史を感じさせる建造物が数多くたっている。道端には道祖神なども数体見られ、歴史が今に残る町である。そのなかでも、この両邸の南には重厚な門や塀、石造りの蔵などが並び、一体となったすばらしい景観となっている。屋敷の周囲にはカシグネやヒイラギの垣根が手入れをされて続き、周囲に良好な環境を提供している。
また、丹精された庭の後ろに建つ入母屋造りの養蚕住宅は総欅造りで材料のケヤキは自家の山から切り出したものだという。
テーマ部門「街のふちどり」
松山邸
所在地
柳川町61
所有者
松山真一
選考理由
高崎城址から北に伸びる渋川街道沿いにあるこの医院は、西は伝統的意匠の門と板塀、南は景観を考えて高さを低く造り直したという石塀に囲まれている。塀の内側は緑にあふれ、庭の池には長野堰の支流から引き込んだ水がゆるやかに流れている。また、通りから見ると、黒色の堂々とした土蔵と、入母屋造りの荘重な母屋が緑に埋もれるように顔を覗かせている。
この一角は、かつて高崎藩士が多く住んだところであるが、松山邸は周囲が急速に近代化する中、往時の風格ある町並みの風情を残し、貴重な存在となっている。
高崎城址親水公園
所在地
高松町69
所有者
高崎市
設計者
高崎市公園緑地課
選考理由
昔、和田城の外濠だった深い濠にボックスカルバートを布設し、自然の景観を醸し出すよう施工した親水公園である。自然石を使い、滝や石組を施し、玉石や水生植物でコンクリートを隠した。農業用水や深井戸の水を利用し、流れを作り、小川を見ながら土塁に沿った園路を散策できる、都心とは思えない一画である。
設計にあたって、自然保護団体等の意見を取り入れ、湧き水の出る場所や小川なども工夫を凝らしたり、市民による山野草の植込み会も行われるなど住民と行政が一体となった公園作りが行われた。
活動部門
高崎観光ガイドの会
代表
岩井今朝雄
選考理由
平成3年発足し、高崎市の歴史や文化、建築物やまちなみ等を研究し、広く市内外の人々に紹介しているボランティア団体。年2回の主催事業のほか、さまざまな要請に応じてガイド活動。実際に現地を歩いて見学することで、市民がそれぞれにまちへの愛着を深め、高崎らしいまちなみを後世に残していくことも目指している。
特に「2000年高崎サミット・5都市間環境プログラム」では、景観・歴史的建造物保全分科会などで通訳ガイドとして活躍した。