箕輪城落城と長野業盛辞世の歌

御前曲輪の写真

箕輪城跡 御前曲輪の桜

長野業政の死を知った武田信玄は、箕輪城攻略を本格化させ、倉賀野、安中、松井田など長野方の重要な城を切り崩し、箕輪城を孤立させる作戦にでました。やがて、厩橋城(まやばしじょう)などからの援軍もなくなり、箕輪勢は攻め寄せる武田軍35,000人に対し、わずかに1,500人で抗戦。若干19歳の城主業盛はよく防戦しましたが、ついに永禄9年(1566)9月、武田軍の猛攻のなか、御前曲輪の持仏堂で自害したと伝えられています。

辞世の歌:春風に梅も桜も散り果てて、名のみぞ残る箕輪の里かな

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