智仁勇、兼備の名将長野業政

 業政公木像の写真

木造「長野業政公の像」(長純寺蔵)

長野業政は、軍記物語などで「智仁勇兼備の名将」といわれ、武田信玄の西上野侵攻を6度にわたり食い止めました。業政の人物像を示す「上杉憲政を諌める」というエピソードが次のとおり伝えられています。

天文15年(1546)4月に河越合戦で北条氏に敗れた関東管領上杉憲政は、敗戦の汚名を返上するため、村上氏との戦いで弱っている武田信玄を攻撃しようとしました。そのとき、業政は「北条軍を攻めるならいざ知らず、恨みのない武田軍が弱っているとき、攻めるのは賛成できません」と諫言しました。しかし、この諫言は憲政の耳には届かず、上杉軍は信濃で大敗を喫しました。後日、この話を聞いた信玄は、業政の器量を認め、業政が生きている間は直接攻撃をしなかったと伝えられています。

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