ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
現在地 トップページ > 分類でさがす > 文化・観光 > 歴史・文化財 > 文化財 > 高崎だるま(R)の歴史について

本文

高崎だるま(R)の歴史について

ページID:0003053 更新日:2023年12月18日更新 印刷ページ表示

高崎だるま(R)の写真

そうだったんだ高崎だるま

鮮やかな赤色が印象的な、高崎市民になじみ深いだるま。

本市では豊岡地域を中心に「高崎だるま」の伝統が受け継がれています。日本の吉祥である鶴と亀が顔に描かれていることから「縁起だるま」「福だるま」とも呼ばれている高崎だるま。
平成5年には、群馬県ふるさと伝統工芸品に指定されています。
また平成18年には、特許庁が創設した地域団体商標制度で県内初となる商標登録を受けています。
問い合わせは、観光課(電話:027-321-1257)へ。

高崎のだるまは、旧豊岡村が1955年に高崎市と合併するまでのおよそ140年の間、豊岡だるまと呼ばれていました。現在は「高崎だるま」として商標登録を行い、全国にその名が知られています。

高崎だるまの歴史

高崎のだるま作りは、今から二百十数年前、豊岡村の山縣友五郎が始めたとされています。

稲の収穫や麦蒔きが終わった、秋から翌年の春にかけて作られていましたが、友五郎が始めたころは、色塗りに使う材料が簡単に手に入らないなどの理由で、生産量は少なかったようです。
1859年の横浜港の開港で、だるまの生産が盛んになっていきます。海外からスカーレットという赤の顔料が輸入されるようになったからです。

徐々にだるまの作り手が増えていき、1909年ころには18軒になりました。現在では72人の職人が伝統を継承しています。

病気除けとしてのだるま

だるまの広まりは、江戸で疱瘡(天然痘)という病気が流行したことに由来します。当時の庶民は病を恐れ、しばしば願掛けを行っていました。赤いものが邪気を払うと信じられていたため、赤く塗られただるまが疱瘡除けとして求められるようになりました。流行時には、子どもの枕元などに置かれていたと言われています。

その後、疱瘡の予防法が発見されたことで、江戸のだるまは姿を消していきました。

貴重な資料の発見

近年、「高崎談図抄」という文政十二(1829)年の文献に、だるまに関わる記載があることが分かりました。
田町の市で、だるまを売る様子が版画と文章で残されていたのです。まちなかで、だるま市のルーツともいえる動きが始まっていたことが分かる貴重な資料です。

当時の田町では、毎月5日と10日をゴトオビと言い、月6回の市・六斎市が開かれていました。「お江戸見たけりゃ高崎田町、紺ののれんがひらひらと」と謡われたほどにぎわっていました。六斎市の中でも、正月の10日を初市と呼び、市の神様を祭り、まちを挙げて祭りに沸いたようです。

高崎談図抄には、この初市の風景が描かれ、市の神様の前にだるまを売る店が出て、人々が買い求めている様子が見て取れます。今でも続いていれば、県内で最も歴史あるだるま市になっていたのかもしれません。

まちなかでだるま市を開催

市と市観光協会、群馬県達磨製造協同組合は、来年1月1日(祝日)午前11時~午後6時、2日(月曜日)午前9時~午後6時に高崎駅西口駅前通りでだるま市を開催します。組合にとっては設立101年目の新たな挑戦となります。

高崎だるま市のページ

高崎談図抄拡大図

木型に見る高崎だるまの変遷

高崎だるまの昔ながらの制作方法は、木型に紙を重ねて貼り、乾いたら型から抜く「張り子」と呼ばれる手法です。

本市が全国でも類を見ないだるま職人の町となったのには、ある一人の型彫りの名人の存在があります。元金沢藩士の葦名鉄十郎盛幸がその人です。皆から「だるまの型彫り鉄つぁん」と呼ばれていました。
初期の頃は、顔の下の部分に棒のような衣線が彫られていました。横浜港の開港で、シルクの輸出が盛んになると、養蚕業も全国的に広がっていきます。鉄十郎は繭の形にこだわる人たちの声を参考に丸みを帯びた型を作りました。

そして、縁起の良い「福入」の文字が書けるように、衣線の間隔を少し開けました。この型が踏襲され、現在の高崎だるまに至っています。

木型の高崎だるま1
初期の木型は、中央に衣線がある

木型の高崎だるま2
明治中期以降の型は、中央の衣線がない

七転び八起き、縁起がいい顔の福だるま

形全体が丸みを帯びて、ふくよかな感じのする高崎だるま。その特徴は、眉毛は鶴、髭は亀を表現しています。日本では「鶴は千年、亀は万年」と言われ、吉祥・長寿の動物に例えられます。その縁起の良さから昔から高崎だるまは多くの人に親しまれてきました。

お腹には「福入」、両肩には「家内安全、商売繁盛、大願成就、目標達成」などの願いを込めて金文字が書かれています。文字が書かれているだるまは全国的に見ても珍しいものです。

また、「七転び八起き」と言われ、いくら転がしてもすぐに起き上がります。重心が安定した形は心の持ち方を示し、どんな困難にも対処できる落ち着いた心と忍耐力を表しています。

縁起がいい顔の福だるまの写真

高崎だるま展の動画

群馬県達磨製造協同組合は、組合の設立100周年記念事業「高崎だるま展~高崎だるまと全国のだるま大集合」を平成28年10月7日~11日、シティギャラリーで開催しました。高崎だるまの歴史や制作工程を木型や写真などを使って分かりやすく展示。
だるま研究家・峯岸勘次さんの講演では、メモを取りながら熱心に耳を傾ける参加者の姿がありました。訪れた人は気に入っただるまの写真を撮るなど思い思いに楽しんでいました。

峯岸勘次さん講演会の動画全編を見たい方はYoutube高崎市公式チャンネルでご覧ください。

Youtube高崎市公式チャンネル<外部リンク>