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「明治11年天皇を迎えた新町行在所- 歴史を生きた人たち -」
企画展概要
行在所(あんざいしょ)とは、行幸(天皇が外出すること)の際の仮宮となる場所のこと。
令和5年度第1回企画展「明治11年天皇を迎えた新町行在所ー歴史を生きた人たちー」では、明治11年(1878)に行われた明治天皇の北陸・東海道巡幸において、初めて群馬県が訪問先となり、県内最初の宿泊地となった新町行在所と天皇を迎えることになった新町の人たちの、知られざる歴史を紹介します。
各地之風土人情、民間之疾苦等を知り
明治政府は、天皇の存在を国民にアピールするために全国各地への行幸と巡幸を行いました。明治初年から45年までの間に97回、毎年欠かさずに近代化を象徴する建物や産業、教育などの施設を訪れ、文明開化や殖産興業の促進を図りました。明治5年(1872)から18年(1885)までの初期巡幸のうち、規模の大きかった6回は「六大巡幸」と呼ばれ、また、明治11年の北陸・東海道巡幸は700人以上の随行員を伴う最大規模のものでした。
九月初めの二日上野国緑埜郡新町駅に駐蹕し
東京を出発し中山道を進んだ一行は、9月2日群馬県に入り、新町に宿泊。翌3日、大久保利通や岩倉具視らが新たな外貨獲得を目的に、前年に完成したばかりの新町屑糸紡績所を巡覧しました。群馬県内の滞在は5日間で、新町の他、高崎(高崎五大区区務所)、前橋(本町の生糸改所)、松井田(警察署)が宿泊地となりました。これらの中で当時の建物が残っているのは、新町行在所だけになります。なお、行在所の新規建設は「虚飾」に当たるとして政府が禁止していたため、当時は覊客所(ききゃくじょ)と称していました。
明治大帝の御聖蹟、そして
新町行在所は、翌12年(1879)7月18日に英照皇太后の伊香保行啓の際に宿泊所となり、その後は警察署や役場の庁舎として利用されました。昭和8年(1933)年には明治天皇聖蹟として、文部大臣により史蹟名勝天然紀念物に指定され、以後「明治天皇新町行在所」と呼ばれるようになりましたが、戦後の昭和23年(1948)連合国総司令部(GHQ)の指示により指定解除となりました。現在は、高崎市指定史跡として新町行在所公園内に、創建時の遺構を一部残す形で保存されています。
毎年2月初めから1か月の間開催される「新町ひなまつり」では、行在所の縁座敷に雛人形が華やかに飾られ、春の訪れを告げる風物詩となっています。
会期
令和5年6月3日(土曜日)~7月2日(日曜日)
開館時間
午前9時~午後4時
休館日
月曜日
入場料
無 料