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幻の鎌倉街道上道(かみつみち)

ページID:0002769 更新日:2023年12月18日更新 印刷ページ表示

企画展概要

鎌倉幕府は源頼朝を中心とする関東武士の政府でしたが、依然として京都を中心とする朝廷の力は強く、不安定な状態が続いていました。幕府は「いざ」というときのために関東の御家人をできるだけ早く集められるように、鎌倉と各地を放射状に結ぶ軍事道路をつくりました。この道は近世になって「鎌倉街道」と呼ばれるようになり、高崎は鎌倉街道の終着点であるとともに、鎌倉から関東諸国を通って信濃や越後、陸奥へとアクセスできる交通の要衝となっていました。また、各地方から人や物、文化が集まるターミナルでもあったのです。その痕跡は今でも消えることなく、読み取ることができます。

鎌倉街道は1本の道ではなく、主要幹線の「上道(かみつみち)」「中道(なかつみち)」「下道(しもつみち)」と呼ばれる3本の道がありました。その他にも、地域の盛衰、自然の地形や河川の流路によってコースや渡河地点が変化し、脇道や枝道も多くあったものと思われます。鎌倉街道の維持管理は民衆や宗教者であったために、規格も統一されておらず、経路を記す史料も少なく、特定がたいへん難しい道です。また、近世には江戸を中心に参勤交代のための「五街道」が整備されて、廃道になったり、近代以降に拡幅されたりして、実態や詳細な道筋が明らかではないことから、「幻の道」と呼ばれています。

企画展名

  春季企画展示4「幻の鎌倉街道上道(かみつみち)」

会期

  平成24年3月20日(火曜日)~4月22日(日曜日)

おもな展示品

  鎌倉街道に関する写真・解説パネル約50点など

後援

  上毛新聞社 ラジオ高崎

記念事業

  史跡めぐり