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インタビュー 利波浩樹さん

ページID:0032086 更新日:2024年3月1日更新 印刷ページ表示

[写真:利波浩樹さん]

インタビュー06となみ農園利波浩樹新規就農の先輩達とのコミュニケーションで
安心して農業に取り組める

サラリーマンになるのは自分の生き方じゃない。農業の勉強を3年。倉渕に移住して1年。研修生活が続く倉渕という地域のコミュニケーションに支えられて自分の好きなものを作る醍醐味がある。最近は作ってほしい野菜のオーダーもある。

■農業で生きていくと決めた

高校までは出身地の富山で過ごして新潟の大学にいき、卒業論文の代わりに企業研修を受けたのですが、一般企業のサラリーマンよりは別のことをしたいなって感じたんです。その後、将来を決めるためにも大学院に進んで精密工学やナノテクの勉強をはじめ、その一方で将来何をして食べていくのか、やりたいことを見つけようと考えていました。

利波弘樹さん写真2

最初は単純に「自給自足」という生活に憧れたのですが、そこから農業の技術を身につけようと決めたんです。そして特に有機農業を勉強しようと考えて、レタスの日本一の生産地である長野県川上村へ行き、有機農業の技術を勉強し習得することにしました。

4月から10月まで育苗から収穫まで勉強の毎日でした。ただ川上村は標高が1000メートルほどで、冬の間は畑が閉ざされてしまうんです。そこで冬の間は、有機農家さん同志のつながりで、栃木県小山市の全国に堆肥を生産販売し野菜栽培も行っている農家を紹介してもらいそこで勉強しました。その有機農家はラッキーなことに堆肥農家だったのでとても勉強になりました。有機農業を勉強するにあたっては堆肥の勉強はずせませんからね。また、その農家さんから紹介頂いて、群馬県嬬恋のキャベツの育苗の勉強する機会も得られました。

そして春になったらまた長野県川上村に戻って。そうやって1年間を通じて農業の勉強をしていくうちに将来は農業で食べていくという覚悟が固まりました。

■就農へ向けて倉渕へ

そして3年間という研修期間を経たあと、群馬県高崎市倉渕での就農を決断しました。というのも、収穫した農産物の販路を確保するなど新規就農者をバックアップする「くらぶち草の会<外部リンク>」の協力があったからです。就農しやすいと聞いて決めました。加えて、それよりも以前に、日本農業新聞の「倉渕の離農率は0%」という記事を以前に読んでいたので、倉渕での就農は意識していたんだと思います。倉渕は農業の先輩たちが大勢いたこともあったので、頼りになりますし安心できると思いました。

利波弘樹さん写真3

そしていよいよ2006年に倉渕へ移住。高崎市が提供している、新規就農者研修施設という低額家賃の住宅施設を住まいにして、学生の時に知り合った妻を呼んで、倉渕での暮らしが始まりました。最初の1年間は倉渕での農業研修でしたね。その研修中に地域の人との交流ができて、今の家と土地を見つけることができました。その後ようやく就農したのですが、倉渕で先に農業生活を送っている30世帯ほどの先輩たちに受け入れられて、本当に心強かったです。


ちゃいたか<外部リンク>

くらぶち英語村<外部リンク>

絶メシリスト<外部リンク>

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