『高崎城大意』によると、「もとこの櫓こけらふきにて櫓作りになし、二階も無く土蔵などの如くなるを、先の城主腰屋根をつけ櫓に取り立て」とあります。
後に城主安藤重博が現在のように改装したもので、17世紀末頃に建築されたと考えられています。
明治維新後は、下小鳥町に移築され納屋として使用されていたものを、昭和52年現在の位置に復元移築しました。
もとは追手門(現在の高松郵便局付近)から南約240mにある「出桝形(でますがた)」の北側にあり、通常は扉を開き、城内に出入りする武士や商人などを通行させたいわば通用門でした。
東門も乾櫓と同じように下小鳥町に移築されていたものを、昭和55年現在の場所に復元移築し、高崎市に寄贈されました。
このような高崎城も、明治6(1873)年に東京鎮台高崎分営第九大隊を設置するため、本丸、二の丸は取り壊しとなり、平らな土地となってしまいました。
現在、お城の施設としては、三の丸外郭の土塁と堀、復元された櫓と東門だけが残っています。