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山上碑及び古墳 |
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山上碑は、 681年に立てられた日本最古級の石碑で、高さ111センチの輝石安山岩の自然石に53字が刻まれています。放光寺の僧である長利が、亡き母の黒売刀自を供養するとともに、母と自分の系譜を記して顕彰したものです。近隣の金井沢碑・多胡碑と合わせて上野三碑と呼ばれています。 長利は、健守命の子孫の黒売刀自が、赤城山南麓の豪族と推定される新川臣(現桐生市の新川か)の子孫の大児臣(現前橋市の大胡か)と結婚して生まれた子です。彼が勤めた放光寺は、「放光寺」の文字瓦が出土した前橋市総社町の山王廃寺だったと推定されています。 碑文にある三家(みやけ、屯倉)とは、6世紀〜7世紀前半に各地の経済的・軍事的要地に置かれたヤマト政権の経営拠点です。佐野三家は高崎市南部の烏川両岸(現在の佐野・山名地区一帯)にまたがって存在していたとみられ、健守命がその始祖に位置づけられています。 碑に隣接する山上古墳は、直径約15メートルの円墳で、精緻な切石積みの石室を持ち7世紀中頃の築造と考えられます。その築造時期は、山上碑よりも数十年古いため、もともと黒売刀自の父の墓として造られ、後に黒売刀自を追葬(帰葬)したものと考えられています。
銘文辛己歳集月三日記 現代語訳辛巳年10月3日に記す。 佐野三家(さののみやけ)をお定めになった健守命(たけもりのみこと)の子孫の黒売刀自(くろめとじ)。これが、新川臣(にっかわのおみ)の子の斯多々弥足尼(したたみのすくね)の子孫である大児臣(おおごのおみ)に嫁いで生まれた子である長利僧(ちょうりのほうし)が、母の為に記し定めた文である。放光寺の僧。 |
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