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第14回初代市庁舎は洋風瓦葺き

ページID:0005077 更新日:2023年12月18日更新 印刷ページ表示

たかさき100年第14回写真
宮元町にあった市役所

来年5月のオープンを目指して、現在21階建ての新庁舎の建設が進んでいます。市庁舎の建設は、これが3回目になりますが、最初のものは明治44年(1,911年)に建てられました。

明治33年(1,900年)、高崎は町から市に変わりましたが、庁舎は宮元町にあった旧町役場(現在のスカイビルのある所)をそのまま使っていました。この建物は、明治初年の戸長役場以来のもので、古くて狭いため、水道部の事務所が旭町の分室に置かれるなどしていたことから、市民には大変不便な状況でした。市制施行とともに新庁舎建設が市全体の課題となっていました。

明治43年9月、内田信保市長が庁舎新築問題を市参事会に提案、可決され、市議会もこれを承認し市庁舎建設の動きがスタートしました。

内田市長は直ちに、建設資金として15,000円の臨時市債発行の許可を県知事から受け、建設位置を今までと同じ役場の角地とし、設計を東京市の小林鶴吉技手に依頼しました。11月6日、東京の芝区や麻布区の区役所をモデルにした設計図が出来上がりました。北東の隅を正面入り口とし、南と西にも出入口を設け、1階南には庶務、戸籍、税務課などが並び、西は水道部、奥に市長室、助役室があり、2階は市会議事堂と市参事会室という配置でした。

12月に入って井上組(現井上工業)と契約を締結、仮庁舎を大信寺に置き、工事が始まりました。完成は翌年4月ころの予定でしたが、梅雨などで工事が大幅に遅れ、明治44年9月16日に受け渡しが完了、17日から3日間市民に内部を公開しました。洋風木造瓦葺き2階建て、高さ17メートルの新庁舎は上水道、電車とともに市民の自慢の種となりました。

その後昭和10年代に入り、建て替えの動きもありましたが、日中戦争による物資統制のため立ち消えとなり、昭和22年(1,947年)2月22日、火災によって焼失するまで市庁舎として使われました。

この火災のため、市庁舎を本町の市公会堂へ移しましたが、ここも昭和25年(1,950年)4月25日、火災により2階部分が焼失してしまいました。再び本格的な市庁舎建設が計画され、昭和26年12月に着工、昭和29年4月に完成しました。これが現在使われている市庁舎です。

(清水吉二)