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第65回高崎経済大学の設立

ページID:0005308 更新日:2023年12月18日更新 印刷ページ表示

たかさき100年第65回写真
大学の校舎として使われていた旧兵舎

第二次世界大戦が終わり、復興もこれからという昭和25年、高崎市は市制施行50周年を迎えました。これを機に、明日の高崎をどのように築いていったらいいか、市民各層からいろいろな議論が出てきました。

こうした気運の中で、市制施行時の「市是」の重要な柱の1つであった教育振興の精神を継承する意味から、また、商都高崎の産業経済界に有為な人材を送り出す、高等教育機関をつくりたいという長年の念願が高崎経済大学の創立によって果たされることになります。この高崎経済大学の創立は、市立短期大学の設立にさかのぼります。

昭和25年、市議会に短期大学設立の準備会が設けられ、翌昭和26年には設立準備の調査費が計上されました。大学の教授陣も整い、初代学長に河西太一郎を迎え、昭和27年3月、高松町の旧連隊兵舎を校舎として「高崎市立短期大学」が開学しました。

その後、短期大学を4年制大学に昇格させようという運動が学内外から出てきました。昭和30年8月短大改組について関係者が協議を行っています。昭和32年2月、市は臨時市議会を開き、市立短期大学廃止・施設の使用目的変更・短大管理条例の一部改正を審議、可決しました。

この臨時市議会は、文部省への手続き上、短大は3月末日で廃止するという議会の正式な議決が必要であったため、緊急に臨時市議会を召集したのです。

また、本会議に先立って行われた全員協議会では、4年制大学昇格申請に対する文部省の審査状況について、市から経過説明があり、文部省の審査会において、提出した申請書類がパスし、予定されている実地調査に合格すれば、認可される見込みであるという報告がなされました。

高崎経済大学の認可申請を審議する文部省の大学設置審議会は、昭和32年2月に開催され、分科会の審査に基づいて最終的な審議を重ねた結果、設置基準に適合するものとして、同年3月15日付けで文部大臣から認可されました。

昭和32年4月、高崎経済大学の開学とともに市立短期大学は廃校になり、初代学長には田辺忠男教授が就任しました。また、短大の1年次生は、高経大の第2年次生に編入されました。

高崎経済大学は、昭和35年3月、56人の第1回卒業生を世に送り出しました。

(高階勇輔)