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第85回総合文化センターの誕生

ページID:0005335 更新日:2023年12月18日更新 印刷ページ表示

たかさき100年第85回写真
昭和59年に完成した総合文化センター

昭和40年代の後半に高度経済成長時代が終わると、増大する余暇時間の活用を図り、地方文化を育てようという動きが各地に起こりました。昭和53年(1,978年)、国は「地方の時代」にふさわしい地域文化振興のため、全国に大規模中核複合施設をつくる構想を発表、高崎市が立地条件として適地であるとして、国・県からモデル施設を建設するよう、積極的な働きかけがありました。高崎市では、種々の目的を持つ市民の活動拠点となる規模の大きな中央公民館建設のほか、市内の芸術文化団体から、音楽センターより規模が小さく、ピアノ発表会や小演劇に利用しやすい中規模な多目的ホール建設の要望も高まっていました。

昭和55年、高崎市はこれらの状況を踏まえ、市制80周年記念事業の一環として、総合文化会館建設の考えを明らかにしました。建設場所は当初、昭和町から浜川町に移転した高崎市立女子高校跡地を予定していました。その後、県立高崎女子高校が末広町から稲荷町に移転することが決まり、両校の敷地面積や再利用する校舎の状態、市民の利便性などを考慮した結果、建設場所を県立女子高校の跡地に決定しました。

昭和56年、総合文化会館の建設工事に一部着手、57年4月には、名称を総合文化会館から総合文化センターに改めました。本格的な工事は、県立女子高校移転後の同年9月から着手、59年4月、総工費64億円を要した総合文化センターが竣工しました。同年7月7日に市民など600人が参加して落成式が行われ、文化会館・少年科学館・図書館・中央公民館が開館しました。

文化会館は、700人収容の多目的ホールやリハーサル室を備え、主に演劇・音楽・舞踊・映画などの催しに使われています。

少年科学館は、総合文化センターの目玉的な施設で、当時ドームの大きさが日本一であったプラネタリウムや科学実験室からなり、年間約2万人の小中学生に利用されています。

図書館は、蔵書数約56万冊(うち幼少年用図書7万冊)、ビデオテープ約3万6千本を収蔵、学習室や読書室、児童室を備え、年間39万人の人たちが利用しています。

中央公民館は、350人収容の集会ホールのほか、学習室3、集会室3、美術室、舞踊室、茶室があり、年間約23万人の市民に利用されています。

(西島 満)