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平成18年度のお題
『せっこがいい』(その2)【3月1日号】
- せっこよく 歩けば落ちる 体脂肪
(請地町 井上 陽子) - 朝帰り せっこいいねと 皮肉られ
(下室田町 榎本 ミヨ) - 腰曲げて グランドゴルフ せっこよく
(乗附町 唐沢 貴美子) - じいちゃんの せっこがいいには 敵わない
(井野町 菅原 キクエ) - 「面倒くさい」 せっこのいい母 口にせず
(箕郷町上芝 高橋 尊美) - テーマみて せっこがいい人 思い出す
(井野町 竹内 朝子) - 晩酌は せっこがいいねと 冷やかされ
(飯塚町 中村 豊雄) - せっこがいいね パートに家事に 親の世話
(下佐野町 松田 光代)
(敬称略)
前回に続く「せっこがいい」パート2です。
まめに働くことや精が出ることを指す言葉ですが、地域によっては「せっこうがいい」と、伸ばして発音することもあるようです。
皆さん、いつもせっこよく投句してくださってありがとうございます。
投句は一人一句でなくても構いません。はがき一枚に数句書いてもオーケーです。
『せっこがいい』(その1)【2月1日号】
- ガラスふき せっこいいねと ひやかされ
(下室田町 新井 充) - せっこよく 会いに来たので 妻となる
(聖石町 小林 千美) - 保険屋の せっこのよさで 掛け捨てに
(八千代町四丁目 植原 ヒロ子) - せっこよく 書いては出すも ボツになく
(八島町 桜井 ちづる) - おばあさん 今日も朝から せっこがいい
(倉賀野町 筒井 弘) - 親父似の せっこのよさは 子供似る
(南町 藤川 忠夫) - せっこがいい 人と仲人 言ったのに
(下滝町 天田 勝元) - 単身赴任 年子三人 せっこがいい
(倉賀野町 山崎 清)
(敬称略)
「せっこがいい」は「まめに働く・精が出る」という意味です。「野の人に せっこがいいネと 声をかけ(菊地町・藤巻さん)」のように、自分以外の人の行為に対して使われることが多いようです。
「ガラスふきー」の句は、「普段やりもしねーのに、たまーにガラスなんかふいてりゃー、ひやかされらーね(下室田町・新井さん)」という情景を詠んだもの。こんなふうにちょっと皮肉っぽく使うこともありますね。
『しゃじける』【1月1日号】
- しゃじけると 親父の拳 空を切り
(高浜町 植杉 隆雄) - お年玉? 給料取りが しゃじけるな
(萩原町 土田 千恵子) - タイミング 外ししゃじけて 場がしらけ
(石原町 悴田 澄江) - ワルしゃじけ そんな言葉は 無かったか
(岩鼻町 門倉 まさる)
(敬称略)
「しゃじける」は、「(調子に乗って)ふざける」という意味です。
「おーかしゃじけてばいいるとはっこくるで(=あまりふざけてばかりいると張り倒すよ)」のように使われます。
高崎以西に分布する言葉で、県内でも西毛以外では使われません。
お手紙紹介
- 「普段何気なく使っている言葉だけど、方言だったんだぁと再認識しています。三十六年前、十八歳で東京に就職したとき、『○○ナン』とか話したら『かわいいネ』って言われたことを思い出します。句:最近の アナウンサーって しゃじけすぎ(飯塚町・土田さん)」。
- 「上州弁が大好きで、心がけて使うようにしています。娘が遠い友人のところに休みになるとよく行くので『せっこよく行くね』と言ったら『意味分かんない』と言われました。句:しゃじけてる 見ててもうれし 孫のかお(上中居町・畑さん)」。
『さー・きゃー・なん』【12月1日号】
- 「そうなん」と 昔は素直な 妻だった
(下滝町 天田 勝元) - そーっさー そーナンだけで 一時間
(高浜町 植杉 隆雄) - そうなんと 孫の自慢で 花がさき
(新町 小黒 淳子) - 言ったんべ 会うなってさー 行ったんきゃー
(聖石町 小林 千美)
(敬称略)
「~んだす」といえば秋田、「~だっぺ」といえば茨城、「~ごわす」といえば鹿児島と、語尾を聞けば出身県が分かります。方言の特徴は、語尾にもっともよく表れるようです。上州弁は、やはり「~だんべえ」でしょう。
しかし「だんべえ」のような派手さはありませんが「さー・きゃー・なん」も上州弁の隠れた代表格です。日常の使用頻度からいえば、むしろ「だんべえ」より上かもしれません。「~さー」は共通語の間助詞「~さ」と意味も用法も同じなのですが、「サァ」の発音が強いうえ、あまりにも頻繁に使うので他県の人は耳障りなほどだといいます。「こないださー、映画見ぃ行ったんさー。そしたらつまんねんさー、これが・・・」。「~きゃー」は共通語でいうと「~かい?」と問いかけるときに使います。「まちぃかいもんいがねっきゃー?(=市街地に買い物に行きませんか?)」
上州弁では終助詞の「の」が「ん」に変化します。「~なん」は「~なの」が変化したもの。「そうなの?どうなの?」は「そーなん?どうなん?」に、「何なの」は「なんなん」になってしまいます。
『たかる・たける』【11月1日号】
- 妻の背に たかって歩く 濡れ落ち葉
(筑縄町 清水 泰枝) - じいさんや その風邪まごに たけるなよ
(下中居町 尾登 きよみ) - たかる紅 軽い試着が 買うはめに
(岩押町 植原 恵子) - 青虫を たけて悲鳴を 上げられて
(岩鼻町 門倉 まさる)
(敬称略)
標準語的な「たかる」は、漢字で書くと「集る」であり、意味は(1)寄り集まる(2)集まりつく。むらがりとまる(3)脅したり泣きついたりして金品を巻き上げ、また、おごらせる・・・ということです。おらほうの「たかる=付く」という意味とはちょっと違いますね。上州弁の場合、「風邪にたかっちゃってさあ」なんて言ったりしますから。
「たける」は「付ける」という意味でのみ使われ、「集まる・ゆする」という意味では使われません。
お手紙紹介
都内の専門学校在学時に友人に言われたのですが、なんでか私は会話しているときに「~さー」とよく言うらしいです。その「~さー」は、うちの地元(東毛)では普通に出てくるのですが、これもおらほうの言葉の一つなんでしょうか。(上佐野町・櫻井さん)
そのとおり、立派なおらほうの言葉です。東京人が「ぐんまの人は『サーサー、キャーキャー、ナンナン』いってる」と話していました。「そうだ」は「そーっサー」、「そうなの?」は「そーナン?」、「そうか?」は「ホーッキャー?」という風に語尾が変化します。
『とびっくら』(その2)【10月1日号】
- 位置に付き 胸のドキドキ とびっくら
(井野町 竹内 朝子) - とびっくら ばかり自慢の 親譲り
(浜尻町 湯浅 茂子) - とびっくら 子よりも何故か 親が燃え
(檜物町 三木 たみを) - とびっくら ビデオ片手に 孫を追う
(西横手町 富山 和子)
(敬称略)
運動会シーズン真っただ中ですが、運動会で最も盛り上がるのはやはり「とびっくら」ですね。「『空でなく地上走るの?とびっくら』・・・戦後群馬に来て『飛ぶ飛ぶ』とは『走る走る』ということと知りました。(日高町・猿渡さん)」というように、おらほうでは「走る」ことを「とぶ」といいます。「たっくら歩ってねえでトンデこお!」と言えば「のろのろ歩いていないで走ってきなさい」という意味です。この「とぶ」に「くらべる」がくっついて「とびっくら」になったのでしょう。運動会の種目でいえば徒競走ですが、用法としては「よーし、角の店までとびっくらだ」というように「かけっこ」的ニュアンスの方が強いですね。
お手紙紹介
(前回号の「くっちゃべる」について)「『いつまでもくっちゃべってねえでちったー手伝え』と添えられていましたが、いかにもの上州弁らしさに声を上げて大笑いしてしまいました。私は隣県の新潟出身ですが、長く群馬に居住しているのでいつも四人の選ばれた方にはナルホドと感心したり郷愁の念さえ感じます。(筑縄町・小堀さん)」
『くっちゃべる』【9月1日号】
- くっちゃべる 人につかまり 動けない
(浜川町 小林 初枝) - くっちゃべる 女房尻目に 手酌酒
(北久保町 根本 丈男) - くっちゃべる 友はポチだけ 定年後
(八幡町 須田 辰美) - くっちゃべる 嫁黙らせる 蟹ご膳
(金古町 丸山 ふみお)
(敬称略)
上州人は言葉が乱暴だと言われます。上州人としては、「乱暴」というよりも「威勢がいい」と言ってほしいところです。作家の司馬遼太郎氏もその著書「北斗の人」の中で「・・・威勢のよさは天下で上州に及ぶものはない」と書いているくらいですから(ただし「死罪人」の威勢のよさですけど・・・)。
上州弁の動詞には、「おっぱなす」の「おっ」、「すっとばす」の「すっ」のような接頭語が用もないのにくっついたり、促音・撥音・拗音が入り込んだりすることが多いため、口調に荒々しさが増幅されるのでしょう。
「くっちゃべる」も「しゃべる」に「くっ」という接頭語がついたものです。その上「しゃ」が「ちゃ」に変化して、いかにも上州弁らしい香りを高めています。その語感からもお分かりのとおり「盛んにしゃべるさま」を指します。「いつまでもくっちゃべってねえで、ちったー手伝え」などと使われます。
「盛んにしゃべること」に対する批判的な気分を含んでいるのに、毒々しくは聞こえない。これが「おらほうの言葉」の良さですね。
『むぐったい』【8月1日号】
- 母の日の 嫁の添え書き むぐったい
(小八木町 吉田 斗み江) - 頬擦りの パパのお髭が むぐったい
(八幡町 須田 美千代) - 肩をもむ 小さな孫の手 むぐったい
(下滝町 天田 勝元) - むぐったい いえぬ八十路の 超音波
(上中居町 吉成 浜子)
(敬称略)
「むぐったい」は「くすぐったい」という意味で使われますが、「くすぐったい」よりもっと悶絶的なむずむず感がありますね。寄せられた投句で一番多かった「むぐったい」ことは褒められること。確かにいい気分ではあるけれど、むぐったい。最たるものは結婚披露宴の仲人のスピーチ、褒められている本人でなくてもむぐったくなってきます。
エピソード1
「四十数年前、烏川の水質もきれいなころの思い出。当時の子どもたちは毎日川で遊んだり魚捕りをしたりして夏を楽しんでいた。川底が砂地の所もいっぱいあった。そんな砂地に裸足を突っ込むと足の裏がむぐったいことがある。砂地に住む魚が動くからだ。子どもたちは『むぐったい、むぐったい』と連発したのだ。懐かしい思い出です。(剣崎町・櫻井さん)」
エピソード2
「金沢にいる孫娘から突然『おばあちゃん、今日ね、インターネットで検索してたらおらほうの言葉っていうのがあってさ、見たらおばあちゃんの名前が載ってる。びっくりしたよ』と少し興奮した弾んだ電話の声。久しぶりに聞く孫の声がうれしく耳に残り心温まる夜でした。(檜物町・三木さん)」
『ひっちゃぶく』【7月1日号】
- 爺ちゃん偉い まやかしハガキ ひっちゃぶく
(岩押町 植原 恵子) - 孫と猫 競って障子 ひっちゃぶく
(金古町 丸山 ふみお) - これもボツ 書いた川柳 ひっちゃぶく
(八幡町 梅村 ヨシ子) - 日めくりの 暦ひっちゃぶく 情緒かな
(金井淵町 真塩 康雄)
(敬称略)
「ひっちゃぶく」という言葉には「破く」より力強いけれども、「引き裂く」ほど暴力的ではない、いいあんばいの勢いが感じられます。寄せられた投句とエピソードでは「ひっちゃぶかれる」ものは障子が圧倒的多数。次点は意外にも「点の悪かった試験の答案」でした。親に見つかる前にひっちゃぶく。確かに身に覚えがありますね。
エピソード1
「宝くじの絵を見ながらお絵かきをしていた甥っ子が、うまく描けないことに腹を立て、あろうことか私の宝くじをひっちゃぶいてしまったのです。幸い?当たっていなかったので良かったですが「こんなときに限って当たっちゃうかも・・・」なんて思った自分にちょっと笑えました。『宝くじ ひっちゃぶかれて 大慌て』(八幡町・品川さん)」
エピソード2
「昔は何をするにも人手仕事だった。稲刈りも一株ひと株手で握って、ノコギリ鎌で手元が見えなくなるまで刈り、左手の小指まで刈ってしまった。痛くて血だらけの小指を頭にかぶっていた手ぬぐいをひっちゃぶいてしっかり巻いた。五十年たった今でもそのときの傷跡が残っている(栗崎町・信澤さん)」
『あんじゃねえ』(その2)【6月1日号】
- もう泣くな すり傷くらい あんじゃねえ
(箕郷町上芝 高橋 尊美) - 見舞う娘に あんじゃあねえと 母気丈
(金古町 丸山 ふみお) - 父の言う あんじゃあねえは 頼もしく
(檜物町 三木 たみを) - あんじゃねえ カーナビ俺を 連れて行く
(飯塚町 中村 豊雄)
(敬称略)
「あんじゃねえ」は「大丈夫」「心配ない」という意味で使われます。
時代劇などで「案ずるな」というせりふを耳にしますが、この辺が転訛して「あんじゃねえ」となったのでしょう。
エピソード1
「昭和二十七年ごろ、農村地区にも病院での分娩が普及してきました。婚家から実家に里帰りしていた若い嫁さんが、実母の付き添いで、分娩室に入るときの情景です。『あんじゃあねえ 初産の娘に 母の声』。ちなみに当時私は二十歳くらい、そのとき沐浴した赤ちゃんは今五十四歳・・・(足門町・森田さん)」
エピソード2
「定年を機に、東京から倉渕へ越してきました。こっちの人がよく使う言葉「あんじゃねえ」。「ドンマイ、ドンマイ」という意味らしいけど、温かくていい言葉ですね。気に入って自分が主催する中高年者のトライアルバイク大会を「あんじゃねえGOGO」と名付けました。『まかせとけ 齢なんかは あんじゃねえ』(倉渕町川浦・恵比根さん)」
『おやげない』(その2)【5月1日号】
- 寝顔見て 叱ったあとの おやげなさ
(石原町 悴田 澄江) - おやげない 日に日に目減り 上司の毛
(鼻高町 吉井 糸麻) - おやげねえ 去勢の猫に 男共
(倉渕町川浦 大井 サト子) - おやげないと 言う顔も又 おやげない
(上中居町 吉成 浜子)
(敬称略)
前回に引き続き、お題「おやげない」に寄せられた作品を紹介します。
「おやげない」は「かわいそうに」という意味合いで使われます。「おやげねえ」と言われることも多く、こちらの方がより方言らしく聞こえますね。
川柳のほかに『おやげない』にまつわるエピソードもお寄せいただいたのでご紹介します。
エピソード1
「昭和二十年三月十日の夜、母の実家にたどり着いたとき、やけどをした私たちの姿を見た祖母が『おやげねえ。夕べの空襲で焼け出されたかい』とポロポロと涙をこぼしました。私にとっては初めて聞く方言でした。六十年たっても昨日のことのようです(宿大類町・羽鳥さん)」
エピソード2
「高崎・前橋には十年ほど住んでいたことがあり、たびたび市のサイトを訪問します。『おらほうの言葉』は楽しく拝見しております。『おやげない』は北部ではかなりの頻度で会話の中に出てきました。同じ上州でもやはり山間部のほうが方言が残っているように感じました(東京都足立区・秋伊さん)」
『おやげない』(その1)【4月1日号】
- 甲子園 出られぬ不祥事 おやげない
(岩鼻町 門倉 まさる) - 死語となる 方言多く おやげない
(檜物町 三木 たみを) - わしゃあ長野 群馬も言うのか おやげない
(上中居町 吉成 浜子) - おやげない 町で一人の 一年生
(冷水町 依田 芳江)
(敬称略)
今回のお題「おやげない」は広辞苑にも載っている言葉です。それによると「親気ない」→「親らしくない」→「むごい・無慈悲である」という意味になります。
方言にはその地方だけに存在してきた言葉と、古くは広い範囲で使われていたものがだんだんと消えていき、特定の地方だけで生き残った言葉とがあるようです。「おやげない」は後者になるでしょう。信州の一部では同じ意味で使われていますが、群馬県内でも東毛ではあまり使われません。
ところで、合併後始めてとなる「おらほうの言葉」には、各地区の人から百十二もの投句をいただきました。秀作も多いため、今回号と五月一日号の二回に分けて紹介することにしました。次回「おやげない」パート2をお楽しみに。