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代官ぬで島家三代の墓

ページID:0005039 更新日:2023年12月18日更新 印刷ページ表示

高崎市にある指定文化財 市指定

​代官ぬで島家三代の墓の画像
代官ぬで島家三代の墓

ぬで島(ぬでじま:「ぬで」は「木偏に勝」)家は、次の三代にわたり吉井藩に仕え、それぞれ代官として藩政と領内の民政に尽力して偉大な業績を残した。三代の墓は吉井町久伝地区の法林寺にある。

初代、丹斎高堅(1763~1848)、鍛治町の名家ぬで島家に、父彦左衛門重栄の次男として生まれ、天明3年21歳で藩に出仕、文化2年42歳で代官に就任した。文は儒者原閑龍に学び、剣は馬庭念流の高弟で文武両道を究め、著書に『島高堅自記』『多胡旧記』『御家中家々続柄略』などがある。享年86歳。

二代、丹太夫高茂(1793~1869)文化8年19歳で出仕、天保6年43歳で養父高堅に代わって代官就任。文武に勝れ、孝明天皇即位の儀式に賀使の副使を勤め、水戸天狗党の領内通過を穏便に処置、その他功績は多い。享年77歳。

三代、丹治高行(1821~1899)、天保8年出仕、安政3年36歳の時に御通掛、吟味役などを命ぜられ後に代官就任。明治元年、東征軍(官軍)を藩主名代副使として追分本陣まで出迎えた。後に岩鼻県監察を勤めた。享年79歳。

文化財情報

  • 指定種別:高崎市指定史跡
  • 名称:代官ぬで島家三代の墓(だいかんぬでじまけさんだいのはか)
  • 指定年月日:昭和57年3月24日
  • 所在地:高崎市吉井町吉井(法林寺)地図(地図情報システム)<外部リンク>