本文
大河内輝聲と黄遵憲」-明治初期の日中交流-の講演会を下記のとおり開催しました。
その概要をご報告します。
令和3年月3月11日(木曜日)午後1時から
高崎市市民活動センター・ソシアス 市民ホール
明治初期の日中交流について、「大河内文書」をもとに大河内輝聲と黄遵憲が果たした役割について学びました。
輝聲は高崎藩最後の藩主として「城じまい」を行うなど、激動の幕末を生き抜きました。その後34歳で他界するまでの約10年は、漢学者として静かな日々を送り、中国人や韓国人と交流した際の筆談記録や漢詩文を収集整理して残しました。(のちの「大河内文書」)黄遵憲は、初代駐日公使の参賛(書記官)として来日しました。同年齢の輝聲と遵憲は交流を深め、日中交流の大きなきっかけとなる日本流の桜の花見を実現しました。(遵憲は在日期間中、毎年桜の花見をしたそうです。)遵憲は着任後2年で、日本の概略をまとめた「日本雑事詩」を書き上げました。その中に日本の桜と花見の詩も収録されています。輝聲はこれを気に入り原稿を所蔵したいと頼んだところ、遵憲も心良く同意。唐代の文塚や筆塚にならい、輝聲の邸宅内に「日本雑事詩初稿塚」を建てて初稿を埋めました。
講師による解説の中で、輝聲の邸宅や行きつけの料亭で公使たちと筆談を楽しむ様子なども詳しく知ることができ、大変有意義な講演となりました。
大工原 美智子(だいくはら みちこ)