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箕輪城下町と高崎城下町」-その成り立ちを探る-の講演会を下記のとおり開催しました。
その概要をご報告します。
令和3年月6月12日(土曜日)午後1時30分から3時30分
高崎市市民活動センター・ソシアス 市民ホール
戦国時代に関東有数の城下町であった箕輪城下町と、その箕輪から大規模移転した高崎城下町。それぞれの成り立ちについて講演していただきました。
箕輪城下町は、長野氏の時代に寺社の整備が進められ、その後東西の街路が整備されました。井伊直政の時代には、南北に直線的な街路、武家屋敷や商人町・職人町などの街区が整備されて、12万石に相応しい形になりました。
箕輪城から高崎城への移転は大規模で、和田城があった周辺が整備拡張されました。高崎城下町には寺社も含め箕輪城下町の大部分が移り、すでにあった町(宿)や寺社を再編成することで新たに大きな町が誕生しました。武家屋敷は二の丸・三の丸に、商人町や職人町は中山道沿いに箕輪と同じ町名で配置されました。
長野氏から井伊氏の時代に大きく発展と遂げた箕輪城下町と、その大部分が移転して中山道有数の町に発展した高崎城下町について、多くの史料、文献などから詳しく学ぶことができました。
秋本 太郎(あきもと たろう)