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山田かまちの紹介

ページID:0003700 更新日:2024年3月12日更新 印刷ページ表示

山田かまち紹介

山田かまちのポートレート
ポートレート
1977年撮影

山田かまちは1960年、高崎市に生まれました。幼少期から小学校にかけて、絵を描いたり詩や物語を書いたりすることに並はずれた独創性を発揮し、周囲の人々を驚かせていました。4、5年生の頃から切手収集やクラシック音楽にも夢中になり、「ぼくには24時間では足りないよ」が口癖だったといいます。

中学校に入学してからは、学校の友人や国内外の文通仲間と音楽や世界について語り合い、天体観測に夢中になるなど好奇心いっぱいの日々を送りました。ビートルズをはじめ、クイーンやエアロスミスなど、海外のロックミュージックにのめりこみ、魂そのもののように感じていたロック音楽についても多くの絵や詩を書き綴っています。予備校、高校での新しい出会いは、かまちに友情と恋を教え、さらに多くの作品として結晶しています。

1977年8月、かまちはエレキギターの練習中に感電する事故にあい、誰も予期しなかった突然の死を迎えてしまいました。後に部屋に残された大量の絵と詩文は思春期の少年の揺れ動く想いと心の叫びにあふれ、残された人々に衝撃を与えました。

かまちの死の4年後に前橋で開催された遺作展などを機に彼の絵画や詩は広く知られ始め、1990年代初期には全国的なブームを呼んで、美術や現代国語、社会の教科書などにも掲載されるようになりました。2000年には生誕40周年を記念した巡回展が全国各地で開催され、「かまち現象」とも呼ばれました。

山田かまち略年譜

1960(昭和35)年
7月21日、高崎市に生まれる。1歳半の頃から、絵を描くことに熱中する。

1967(昭和42)年
高崎市立倉賀野小学校に入学。毎日、クラスメートに請われて怪獣の絵を何枚も描き、担任教諭から黒板の専用スペースを与えられる。夏休み、はじめて詩を書く。ピアノを始める。

1969(昭和44)年
小学校3年生の冬休みに52枚の動物画を一時間で描き上げる。当時の担任であった東京藝術大学出身の教諭がその作品に驚嘆し、実業家であり芸術のパトロンとして大きな足跡を遺した井上房一郎に、かまちを引き合わせる。

1973(昭和48)年
高崎市立倉賀野中学校に入学。この頃、天文学に興味を抱き始める。

1975(昭和50)年
祖母が死去し、非常に心を痛める。文通の友の影響でビートルズに熱中する。《プリーズ・ミスター・ポストマン》など多くの絵を描く。

1976(昭和51)年
倉賀野中学校を卒業。高校受験に失敗、浪人し前橋の予備校に通う。この頃多くの水彩画や素描が生まれる。また、ノートに詩、物語、漫画などを描く。

1977(昭和52)年
群馬県立高崎高等学校に入学。学園祭で映画を制作・出演するなど、多彩な才能を発揮する。8月、エレキギターの練習中に感電死する。享年17歳。

1981(昭和56)年
前橋市で「山田かまち絵画遺作展」が開催される。

1989(平成元)年
井上房一郎主催により、高崎市の画廊で「山田かまち水彩デッサン展」が開催される。

1992(平成4)年
「山田かまち水彩デッサン美術館」開館。

2014(平成26)年4月26日
高崎市山田かまち美術館として再オープン。