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第22回 豊田一男作品展の開催について

ページID:0049536 更新日:2025年10月1日更新 印刷ページ表示

第22回豊田一男作品展「蝋画と油彩で描く、青と赤の世界」/倉渕支所地域振興課

作品展のチラシ1作品展のチラシ

第22回豊田一男作品展「蝋画と油彩で描く、青と赤の世界」

豊田一男画伯は1909年に札幌に生まれ、翌年には本籍地である旧倉渕村に戻り、高崎北小学校、高崎中学校(現・高崎高校)に在学し、数年の松江市での教師生活と2度の戦争への出征を除いた生涯の大部分を高崎市で過ごしました。
1931年(昭和6年)に東京美術学校(現・東京藝術大学)を卒業、同時代の地元の高崎市では、山口薫氏、小林良曹氏、松本忠義氏が活躍しており、豊田一男画伯とも交流を持っていました。
画家としては独立美術協会、自由美術家協会を経て、主体美術協会に参加しますが、画伯の画風にもっとも大きな影響を与えたのは2度にわたる戦争への出征でした。終戦後は自身の戦争体験を踏まえ、反戦、核兵器、環境問題を終生のテーマとして描きました。
また、新たな手法として「蝋画」に取り組み、これを完成させます。
日本の蝋画の創始者となった豊田一男画伯は、日本蝋画協会会長、群馬県美術協会会長などを歴任、1977年には高崎市文化賞を、1979年には群馬県文化功労者賞を受賞し、1989年(平成元年)に享年80歳でこの世を去りました。
生前、豊田一男画伯は倉渕の地を訪れ、昭和53年の絵画教室、昭和55年には、わらび平森林公園での写生大会等の指導などを通じて倉渕地域との交流を深めました。
豊田一男画伯の死後、平成9年、氏のご遺族から油彩、水彩画、蝋画など212点が旧倉渕村に寄贈され、平成12年から15年までの4年間で修復し、一般公開ができるようになりました。
今回の作品展は収蔵作品の中でも、青色と赤色が鮮やかでサイズが大きな蝋画作品と油彩作品を展示いたします。
会場で、「豊田一男画伯」の”魅力”をお楽しみください。

​会期

2026年1月9日(金曜日)~2026年2月1日(日曜日)

開館時間

午前9時~午後5時

入場料

無料

会場

道の駅 くらぶち小栗の里 「展示室」(1階)
・住所 高崎市倉渕町三ノ倉296-1

主催

高崎市

お問合せ

高崎市倉渕支所 地域振興課 電話:027-378-3111

チラシ

第22回豊田一男作品展チラシ [PDFファイル/751KB]

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