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長野堰用水について

ページID:0005515 更新日:2023年12月18日更新 印刷ページ表示

長野堰用水とは

長野堰用水は、古くは室町時代より農業や市民生活に利用され、高崎市の発展の礎として大きく貢献している施設です。高崎の街や水田地帯は2つの自然河川に挟まれていながら、その台地状の地形から水の恩恵を受けにくい地域でした。水利に乏しいこの地域を潤すために長野堰用水の開削が始まったのは、約1100年前と言われています。1814年にはサイホンを新設して、榛名白川を横断したという記録が残っており、当時から高い土木技術と知識があったことが明らかになっています。

また、1901年に建てられた、長野堰用水を開削した先人の労をねぎらう石碑には「本堰烏川の水を引き、獲るところの稲の量は五万石に満ち、また、これを飲みて生ける民は高崎を始めおよそ十万人に余る」と刻まれています。このことからも、古くから農業の発展のみならず、市民の生活を大きく支えてきた施設であることがわかります。

現在では一級河川烏川から最大5.787トン/秒を取水し、幹線水路は15箇所の水門で分水しながら、8.6キロメートル下流の円筒分水堰でさらに4支線に分岐しています。この分岐した4支線の延長は17.1キロメートルで、現在も340ヘクタールの水田を潤しています。

 

円筒分水堰の写真
円筒分水堰

幹線水路の写真
幹線水路

長野堰用水に関する情報(外部リンク)

長野堰用水について詳しく知りたい方は、以下のページをご覧ください。

水土里ネット長野堰(長野堰土地改良区ページ)<外部リンク>