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高崎市景観重要建造物について
市では、景観法(平成16年6月)に基づき、地域の自然、歴史、文化等からみて、建造物の概観が景観上の特徴を有し、良好な景観形成に重要な建造物を景観重要建造物として指定しています。
「高崎市景観計画」第6章では、景観重要建造物の指定の方針について詳しく定めておりますが、指定基準を下記のとおりを定め、本市の景観の形成に重要な役割を果たしている建造物を景観重要建造物に指定することとしました。
「高崎市景観計画」第6章 景観重要建造物・景観重要樹木の指定の方針(PDF形式 2.1MB)
景観重要建造物指定基準(概要)
必須基準1
地域の自然、歴史、文化などからみて、建築物の外観が景観上の特性を有し、景観計画区域内の良好な景観の形成に重要なものであること
- 地域の活性化に資するもの
- 歴史的価値があるもの
- 建築的価値があるもの
- 景観的価値があるもの
必須基準2
「高崎らしさの現れた景観」の特徴を有し、地域で愛され、良好な景観の形成に必要なものであること
必須基準3
道路その他の公共の場所から公衆によって容易に望見されるものであること
※文化財保護法の規定により、国宝、国の重要文化財、特別史跡名勝天然記念物として指定もしくは仮指定されているものは、景観重要建造物に指定できません。
指定建造物
本市では、これまで高崎市都市景観条例に基づき、高崎の文化、産業、教育、生活などを伝える歴史的な建造物などで、特に景観上重要なものを「高崎市都市景観重要建築物」に指定し、所有者と市民、そして行政が協力して保全し活用を図ってきました。
旧条例で指定していた都市景観重要建築物等(6件)は、景観法に基づく「景観重要建造物」へ移行しました。
指定番号 | 指定年月日 | 名称 |
---|---|---|
第1号 | 平成22年2月1日 | 旧井上房一郎邸 |
第2号 | 平成22年2月1日 | 群馬音楽センター |
第3号 | 平成22年2月1日 | (財)山田文庫 |
第4号 | 平成22年2月1日 | 吉田家(旧釜浅肥料店) |
第5号 | 平成22年2月1日 | 浦野家 |
第6号 | 平成22年2月1日 | 山田家(旧山源漆器店) |
旧井上房一郎邸
所在地:八島町82番地1ほか
この建物は、1952年にレーモンドの麻布笄町の自邸を、井上房一郎が同氏の同意を得て高崎の地に建てたもの。丸太の柱の外側に建具を設け自由に動く形とし、斜めに棟木に向かう登り梁も丸太とし、丸太の2ツ割の鋏状トラスで柱と一体化させている。天井を張らないためそれらの構造体が独特な意匠となっており、戦後のレーモンドスタイルの住宅の特徴が顕著に表れている。南面に連続する深い軒がせいひつな感じを与えており、レーモンドの作風を伝える趣のある貴重な建物と、井上房一郎の作庭によるうっそうとした樹林が一つとなって、何れにも代え難い独特な情景を伝えている。
群馬音楽センター
所在地:高松町28番地
この建物は1961年に市民の浄財を基にして、建築家アントニン・レーモンドの設計で建設されたもの。群馬交響楽団の活躍などにより群馬県が第1号の音楽モデル県となったことなどが音楽センター建設の契機となった。レーモンドはコンクリート打ち放しと折板構造、全面ガラス張りロビーなどを直截的に造形美に結び付けた。近代建築の特質である軽快なデザインが良く表現され、周囲の高木の豊かな緑と調和を図っており、城址地区におけるシンボル的な景観を形成している。文化遺産としての近代建築20選(国内)や公共建築100選に選ばれるなど、日本国内はもとより世界的にも注目されている建物である。
財団法人山田文庫
所在地:常盤町25番
山田文庫は旧中山道が常盤町で直角に向きを変える角地、江戸から明治期の建物が多く残り、明治初期から産業が興隆したこの地区の中心的な位置にある。明治以前の建物と思われる屋敷蔵、土蔵2棟、明治16年移築の茶室、九蔵町の茂木銀行から移築したと伝えられるレンガ塀があり、歴史探索には興味深いものがある。明治・大正・昭和と産業界で中心的な役割を担った山田昌吉、大正末期のドイツ滞在を経て京大教授、高崎倉庫社長となり、1974年に山田文庫を創設した山田勝次郎はここを自邸として活躍した。両者の業績を考えると当時は商都高崎、文化都市高崎のシンボルといえる。
吉田家(旧釜浅肥料店)
所在地:高砂町
大正末期から昭和初期に造られた木造の旧店舗や主屋、レンガ蔵、門などが商都高崎の歴史を今に伝えている。また、主屋は保岡勝也という、一時代を築き上げた著名な建築家の設計によるもので、近代和風住宅の志向をよく表した質の高い造りとなっている。(※原則として非公開)
浦野家
所在地:上豊岡町
養蚕農家の中では、入母屋造りの屋根、漆喰仕上げの外壁、鏝絵を持つ等、大変珍しい凝ったつくりとなっていること、又、都市化の進む中で主屋、馬屋、土蔵、物置そして南側の池と庭、北東側の竹林等当時の豊岡地区の代表的な農村景観が良好な状態で残っており、その意味で大変貴重な存在ということができる。
歴史的建築物の活用という面では、当家の主屋の2階は「遊々舎」という名のギャラリーとして地域に開放されており、高崎市における歴史的建築物の保全・活用の先駆的な事例として今後の見本となるものといえる。(※原則として非公開)
山田家(旧山源漆器店)
所在地:本町
この山田家のある本町地区は、明治13年の大火により町家の大半が焼失した。その後、この一帯の町家は防火を考慮し、土蔵造り瓦屋根葺きに変貌するが、この店蔵と主屋もその頃建て替えられたものと思われる。
その後、昭和37年、都市計画道路の整備に伴い多くの建物が建て替えられ、土蔵造りの店蔵が失われていったが、そんな中でこの山田家は、曳き屋をして残された数少ない例といえる。
北側の通りに向かって熨斗瓦積みの棟瓦、鬼瓦及びカゲ盛を見せる屋根、それを受ける3段の軒蛇腹、2階の2つの窓に備え付けられた軸吊り形式の防火扉、そして漆喰で仕上げられ、更に黒く塗られた外壁を持つこの店蔵は、重厚感にあふれ、通行する人々が思わず足を止める程、印象深いファザードをつくっている。
関東地方の店蔵造りの特徴を今も大切に残している建物は、高崎市にはこの山田家以外にはなく、その意味で高崎市民は大変貴重な歴史的遺産を有しているということができる。(※原則として非公開)